本山 白雲(読み)モトヤマ ハクウン

20世紀日本人名事典 「本山 白雲」の解説

本山 白雲
モトヤマ ハクウン

明治〜昭和期の彫刻家



生年
明治4年9月1日(1871年)

没年
昭和27(1952)年2月18日

出生地
高知県

本名
本山 辰吉

学歴〔年〕
東京美術学校彫刻科〔明治27年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本美術協会賞「小児像」

経歴
高村高雲に師事、日本伝統の木彫を学んだが、洋風彫塑を志し、明治31年美校彫刻科に新設された塑造科の長沼守敬主任教授に洋風彫塑を学んだ。のち日本美術協会に大理石像「小児像」を出品して受賞、光雲に叱責されたという。しかし以後東京・九段の品川弥二郎国会議事堂伊藤博文板垣退助、後藤象二郎ら多数の顕官名士の銅像を制作、銅像彫刻専門に終始、展覧会にはほとんど出品しなかった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本山 白雲」の解説

本山白雲 もとやま-はくうん

1871-1952 明治-昭和時代の彫刻家。
明治4年9月1日生まれ。高村光雲に師事し,のち長沼守敬(もりよし)に洋風彫塑をまなぶ。「伊藤博文」「山県有朋」「坂本竜馬」など40体以上の銅像をつくった。昭和27年2月18日死去。80歳。高知県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は辰吉。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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