河尻大渡(読み)かわしりおおわたし

日本歴史地名大系 「河尻大渡」の解説

河尻大渡
かわしりおおわたし

薩摩街道の緑川における渡河点で、鎌倉時代には大渡おおわたり橋または大慈だいじ橋とよばれる橋が架けられていたが(弘安五年一〇月八日「源泰明寄進状案」大慈寺文書)近世には船渡であった。建治二年(一二七六)大慈寺開山の寒巌義尹は「鎮西肥後州大渡者、九州第一難処」で、渡舟が度々沈没して死者が出るのをみて、「文武緇素」に勧進して緑川に橋を架けることを発願した(同年五月日「義尹大渡橋勧進疏」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報