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寒巌義尹 かんがん ぎいん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

寒巌義尹 かんがん-ぎいん

1217-1300 鎌倉時代の僧。
建保(けんぽ)5年生まれ。後鳥羽上皇(一説に順徳天皇)の皇子。曹洞(そうとう)宗。比叡(ひえい)山で出家。のち達磨(だるま)宗の懐鑑にまなび,転じて道元に師事した。建長5年,文永元年の2度にわたって宋(そう)(中国)へわたり,無外義遠,虚堂智愚らにまなぶ。帰国後,肥後(熊本県)に如来寺,大慈寺をひらいた。正安2年8月21日死去。84歳。通称は法皇長老。

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朝日日本歴史人物事典の解説

寒巌義尹

没年:正安2.8.21(1300.10.4)
生年:建保5(1217)
鎌倉時代曹洞宗の禅僧。後鳥羽天皇(一説に順徳天皇とも)の皇子で法皇(王)長老と呼ばれた。母は藤原重子(修明門院),あるいは公雅法印の娘(宰相局)とも。比叡山に出家して天台学を修めたが,25歳で京都深草興聖寺の道元の下に参じ,越前(福井県)永平寺に遷るのに随った。ただし,嗣法の師については道元のほか,孤雲懐奘,徹通義介という説がある。道元示寂の建長5(1253)年に入宋し,翌年に帰国。文永1(1264)年には道元の語録を携えて再び入宋し,無外義遠,退耕徳寧,虚堂智愚の跋を得て同4年に帰国した。はじめ博多の聖福寺に寓したが,その後,肥後(熊本県)に赴いて同6年に素妙尼の招きで如来寺を開き,建治2(1276)年に益城郡に極楽寺を開いた。弘安6(1283)年,源泰明の帰依で河尻大渡(熊本市)に大梁山大慈寺を創立した。その間,大渡架橋などの慈善事業に尽力し,大慈寺も亀山天皇から官寺の許を受けた。その門流を寒巌派・法皇派と称し,九州西南部に勢力を残した。<参考文献>熊本県立美術館編『寒巌派の歴史と美術』,上田純一「寒巌義尹肥後進出の背景」(『熊本史学』57・58合併号)

(佐藤秀孝)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

かんがんぎいん【寒巌義尹】

1217‐1300(建保5‐正安2)
鎌倉中期の曹洞宗の禅僧。京都北山に生まれ,後鳥羽天皇(一説には順徳天皇)の皇子と伝える。法の嗣承については,道元説,孤雲懐弉(こうんえじよう)説,徹通義介(てつつうぎかい)説など諸説があり明らかでない。1231年(寛喜3)出家して叡山に登り,天台宗の教学を学んだ。41年(仁治2)越前波著寺の懐鑑等とともに山城興聖寺の道元の門に参じ,道元の越前移転にも随行した。43年(寛元1)(一説には1253年),64年(文永1)の2度に及ぶ入宋の経験をもつ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

寒巌義尹
かんがんぎいん
(1217―1300)

鎌倉時代の曹洞宗の僧で法皇派の祖。京都北山に生まれ、後鳥羽天皇(ごとばてんのう)(一説には順徳天皇)の子と伝えられ、ゆえに彼の門派を法皇派と呼ぶ。受法の師については、道元、孤雲懐奘(こうんえじょう)、徹通義介(てっつうぎかい)説などあり明らかでない。初め延暦寺で天台宗を学んだが、のちに禅宗に転派。1241年(仁治2)越前波著寺(はじゃくじ)の懐鑑(えかん)らとともに山城興聖寺(こうしょうじ)の道元の門に参じ、道元の越前移転にも随行した。その後2度渡宋。2度目の渡宋時には、道元の語録を携え、無外義遠(むがいぎおん)、虚堂智愚(きどうちぐ)、退耕徳寧(たいこうとくねい)などを歴参した。1270年(文永7)頃、肥後国古保里(こほり)の素妙尼(そみょうに)の招きにより同地へ移り、如来寺、極楽寺を開いた。1283年(弘安6)には、河尻(かわじり)荘地頭河尻泰明の外護により大慈寺を開創。同寺は曹洞宗史上初の官寺の許可を得、公家、武家の祈祷所として繁栄した。勧進聖(かんじんひじり)的性格も強く、鎌倉幕府などの支援を得て急流緑川(みどりかわ)への架橋工事などを行った。[上田純一]
『上田純一著『九州中世禅宗史の研究』(2000・文献出版)』

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世界大百科事典内の寒巌義尹の言及

【豊川稲荷】より

…妙厳寺は,1441年(嘉吉1)に東海義易が開創した名刹で,1602年(慶長7)には朱印地45石を受けている。伝説によると,道元の弟子にあたる寒巌義尹(かんがんぎいん)が,康元年間(1256‐57)に入宋(につそう)して帰朝の途次,狐に乗った霊神が船上に現れて,自分は吒枳尼真天(だきにしんてん)であり,仏法を守護すると告げた。東海義易は寒巌義尹の6代目の弟子にあたり,妙厳寺を創建したときに自刻の吒枳尼天像を鎮守神としてまつった。…

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