沼田 頼輔(読み)ヌマタ ライスケ

20世紀日本人名事典 「沼田 頼輔」の解説

沼田 頼輔
ヌマタ ライスケ

明治〜昭和期の紋章学者,考古学者



生年
慶応3年4月7日(1867年)

没年
昭和9(1934)年11月27日

出生地
相模国愛甲郡宮ケ瀬村(神奈川県清川村)

旧姓(旧名)
山本

学歴〔年〕
神奈川師範〔明治19年〕卒,理科大学簡易科第二部修了

学位〔年〕
文学博士(東京帝大)〔昭和5年〕

主な受賞名〔年〕
帝国学士院恩賜賞〔大正15年〕「日本紋章学」

経歴
明治23年沼田家の養子となる。30年開成中学教諭、その傍ら帝大文科大学史料編纂掛となる。その後、米子中学、岡山師範各教諭、西大寺高女校長を経て、44年山内侯爵家史編纂所主任となる。同家の桐の紋の由来を問われて答られず、以後発憤して紋章学の研究に取り組む。大正14年「日本紋章学」を刊行、わが国の紋章研究に画期的な業績を上げた。考古学会副会長なども務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「沼田 頼輔」の解説

沼田頼輔 ぬまた-よりすけ

1867-1934 明治-昭和時代前期の歴史学者。
慶応3年4月7日生まれ。岡山師範などでおしえたのち,明治44年山内家の家史編纂(へんさん)主任となる。大正15年「日本紋章学」で学士院恩賜賞。考古学会の創立に参加した。昭和9年11月27日死去。68歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。神奈川師範卒。旧姓は山本。著作に「日本考古図譜」(共著)など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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