米山 国蔵(読み)ヨネヤマ クニゾウ

20世紀日本人名事典 「米山 国蔵」の解説

米山 国蔵
ヨネヤマ クニゾウ

大正・昭和期の数学者 九州帝国大学教授。



生年
明治10(1877)年1月

没年
昭和43(1968)年9月1日

出生地
神奈川県

旧姓(旧名)
真壁

学歴〔年〕
東京高等師範学校〔明治36年〕卒,京都帝国大学理学部数学科〔明治41年〕卒

学位〔年〕
理学博士(京都帝大)〔大正7年〕

経歴
明治43年五校数学教授となった。学位論文「連続的集合論」は、ポーランドのジャニゼウスキーが同様の研究を行っていたが、当時の日本では画期的なもの。大正11年九州帝大工学部教授、昭和12年定年退職し、兼任していた福岡高校専任数学教授となり、退任後も数学教育関係の活躍を続けた。著書に「数学の基礎」(全3巻)「実変数函教論」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「米山 国蔵」の解説

米山国蔵 よねやま-くにぞう

1877-1968 大正-昭和時代の数学者。
明治10年4月生まれ。五高教授をへて,大正11年九州帝大教授。「連続的集合論」で学位をうけた。昭和43年9月1日死去。91歳。神奈川県出身。京都帝大卒。旧姓は真壁。著作に「数学の基礎」「実変数函数論」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例