西小野方村(読み)にしおのかたむら

日本歴史地名大系 「西小野方村」の解説

西小野方村
にしおのかたむら

[現在地名]余目町西小野方

吉岡よしおか村の南にある。「北堰問答記」によれば、はじめは歩入道ぶにゆうどう村といい、越後国出身の庄内藩士鈴木久右衛門が元和八年(一六二二)本小野方もとおのかた村を開発、その褒美として当村の開発が許可されたとある。地名は、本小野方村の西にあることからつけられたという。なお旧称の歩入道村は最上義光が余目に攻め入った際、歩人足が詰めた谷地であったことにちなむとされる。正保郷帳には新田村として村名がみえ、田方三二六石余・畑方一九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報