赤佐村・茶花村(読み)あがさむら・ちやはなむら

日本歴史地名大系 「赤佐村・茶花村」の解説

赤佐村・茶花村
あがさむら・ちやはなむら

[現在地名]与論町茶花

与論島の西部に位置し、南に瀬利覚じつきよ村、東に中間なーま村がある。集落は北に広く開いた入江(茶花港)の東側にある。近世の村名は赤佐で通用しているが、年代は未詳ながらのち茶花村と称するようになった。地内に赤佐・辻宮ちじみや源手名げんてな牛道うしみちなどの地名がある。正保琉球国絵図に「むきや村之内あがさ村」とみえ、大島・徳之島などのように間切の区分はない。沿岸より内陸を通る道が描かれるほか、「あがさ泊」が記される。寛文八年(一六六八)の琉球国郷帳でも間切はなく、「むきや村あかさ村」とある。新井白石の「南島志(享保四年自序)には「阿賀佐村」とみえる。享保内検の結果を示す天保(一八三〇―四四)頃の万帳(滝家文書)あがり間切のうちとして「茶花村」とみえ、家内数七〇・人数三六二人。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報