重藤 千秋(読み)シゲトウ チアキ

20世紀日本人名事典 「重藤 千秋」の解説

重藤 千秋
シゲトウ チアキ

大正・昭和期の陸軍中将



生年
明治18(1885)年1月31日

没年
昭和17(1942)年7月26日

出生地
福岡県

学歴〔年〕
陸士(第18期)〔明治38年〕卒,陸大〔大正7年〕卒

経歴
歩兵第19連隊付、大正12年支那公使館付武官補佐官から参謀本部付となり、広東、上海などに駐在、昭和5年参謀本部支那課長。国家改造をめざす中堅将校グループ桜会に入って橋本欣五郎らとともに活動、6年の軍部クーデター3月事件、同10月事件(いずれも未遂)の首謀者となった。罪にはならず、歩兵第76連隊長、第11師団参謀長、歩兵第11旅団長を経て12年台湾守備隊司令官となり、上海に出征した。13年中将で予備役。満州で甘粕正彦主宰の大東公司社長となり、その後満州労工協会会長。満蒙武力占有論で活躍。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「重藤 千秋」の解説

重藤千秋 しげとう-ちあき

1885-1942 大正-昭和時代前期の軍人
明治18年1月31日生まれ。参謀本部支那課長時代,中堅将校グループ桜会の主要メンバーとなり,未遂におわった昭和6年のクーデター計画三月事件,十月事件に関係。歩兵第七十六連隊長,第十一師団参謀長,台湾守備隊司令官などを歴任。13年陸軍中将。のち満州労工協会会長。昭和17年7月26日死去。58歳。福岡県出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「重藤 千秋」の解説

重藤 千秋 (しげとう ちあき)

生年月日:1885年1月31日
大正時代;昭和時代の陸軍軍人。中将
1942年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の重藤 千秋の言及

【三月事件】より

…建川美次参謀本部第2部長をはじめ二宮治重参謀次長,杉山元陸軍次官,小磯国昭軍務局長ら宇垣周辺の陸軍首脳部は橋本らに呼応し,積極的に画策をすすめた。計画は参謀本部支那課長重藤千秋大佐が中心となって作成し,右翼の大川周明,社会民衆党の赤松克麿,亀井貫一郎らとも連携,徳川義親から20万円の資金をえた。計画では3月20日ごろ右翼・無産団体を動員して議会にデモをかけさせ,議会保護を名目として出動した軍隊の圧力により内閣を総辞職に追い込み,宇垣内閣を出現させる予定であった。…

※「重藤 千秋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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