野沢 重雄(読み)ノザワ シゲオ

20世紀日本人名事典 「野沢 重雄」の解説

野沢 重雄
ノザワ シゲオ

昭和・平成期の実業家 元・協和社長



生年
大正2(1913)年8月10日

没年
平成13(2001)年12月28日

出生地
東京都杉並区

学歴〔年〕
東京帝国大学農学部農業土木科〔昭和14年〕卒

主な受賞名〔年〕
科学技術庁長官賞科学技術功労者表彰〔昭和57年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和60年〕,吉川英治文化賞〔昭和61年〕

経歴
昭和14年台湾製糖に入社。24年独立して協和プラスチック工業所を創設、28年株式に改組協和化学工業改称し、社長に就任。のち会長、相談役。53年協和と改称。薬品を使わない農法を研究し、土を使わず、液肥と空気を混ぜて循環させた養液槽の中で栽培する“水気耕栽培法(ハイポニカ)”を十余年の歳月をかけて開発。1万個以上の実がなるトマトをつくることに成功し、60年のつくば科学万博に出展した。著書に「生命の発見」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野沢 重雄」の解説

野沢重雄 のざわ-しげお

1913-2001 昭和後期-平成時代の実業家。
大正2年8月10日生まれ。昭和14年台湾製糖に入社。24年独立して協和プラスチック工業所(現協和)を設立し,社長。38年以来,農作物の収穫量を増大させる研究にとりくみ,60年に日光と水と無機肥料だけで農作物をそだてる水気耕栽培ハイポニカ法を開発。同年1万個以上の実をつけるトマトをつくば科学万博に出品した。61年吉川英治文化賞。平成13年12月28日死去。88歳。東京出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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