紀ノ川河口に形成された沖積平野を中心とし、北は和泉山脈南麓の山地、東は
縄文前期・中期の海進期には、今の
紀ノ川の河道も永らく不安定で、現在のような流路に落着いたのは明応年間(一四九二―一五〇一)といわれている(続風土記)。それまでの河道は何度も変遷があったらしいが、歴史時代初期の主要な河道は
和歌山に都市が形成されたのは、天正一三年(一五八五)の豊臣秀吉の紀州攻め以後のことである。秀吉は、岡山(現在の城山)に城を築き、その周辺にはじめて街区が形成され、城下町の起源となった。「和歌山」の呼称が初見するのも同じ頃である。
「和歌山」の地名は、「畠山記」(巻七)文正元年(一四六六)一〇月の両畠山の合戦の記事に「遊佐勘解由左衛門尉成加ハ和歌山ノ城ヲ固メ」とあるのが初見だが、これは和歌山城の前身である畠山氏の岡城をさすものと思われる。「畠山記」は近世初頭の成立といわれ、これをもって文正年間に和歌山城の呼称があったとすることはできないであろう。確実な文献としては、田辺の「万代記」天正一三年の記事に「三月より七月迄、若山大田陣にて、田辺騒動」とあるのや、同年七月二日付遠藤基信宛羽柴秀吉書状写(三好家文書)に「紀州和哥山ニ拙弟秀長置候、居城相拵、紀泉両国不残申付候」とみえるのが最も早い。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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