友ヶ島(読み)トモガシマ

デジタル大辞泉 「友ヶ島」の意味・読み・例文・類語

とも‐が‐しま【友ヶ島】

和歌山県北西部、紀淡海峡にある無人島群の総称ノ島・沖ノ島と付属の2島からなる。第二次大戦終結まで瀬戸内海入口の要塞になっていた。沖ノ島はキャンプ場海水浴場瀬戸内海国立公園に属する。

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日本歴史地名大系 「友ヶ島」の解説

友ヶ島
ともがしま

[現在地名]和歌山市加太 友ヶ島

加太かだ西方、紀淡海峡上に浮ぶ島で、ノ島とその西方のおきノ島および沖ノ島に付属する小島とら島・かみ島の四島からなる。一般に沖ノ島という場合、虎島・神島を含めてよび、虎島は現在沖ノ島と陸続きになっている。沖ノ島には葛城修験行場が点在する。地ノ島の全周約五・二キロ、最高点九三・四メートル。沖ノ島の全周約六・五キロ、最高点一一九・九メートル。友ヶ島は「伴島」とも記され、妹島いもがしまとして歌枕にもなっている。

加太から深山みやま大川おおかわにかけての海岸と地ノ島の間を加太ノ瀬戸(深山海岸と地ノ島間が最短で約八五〇メートル)、地ノ島と沖ノ島の間をなかノ瀬戸(約五五〇メートル)、沖ノ島と淡路島の間を由良ゆらノ瀬戸とよぶ。紀淡海峡ないしは由良ノ瀬戸を古くには由良戸ゆらのととよんだ。

類聚国史」の天長三年(八二六)一二月二七日の祥瑞記事に「紀伊国守従五位下占野王等奏、去八月廿八日、慶雲見海部郡賀多村伴島上」とあり、続けて「臣等謹案、孫子瑞応図曰、慶雲太平之応也、礼斗威儀曰、政和平則慶雲至、孝経援神契曰、徳至山陵則慶雲出、夫殿号豊楽、験四海之歓娯、島名聖諱、表一人之有慶、斯実曠古之所希有、歴世之所逢也」とある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「友ヶ島」の意味・わかりやすい解説

友ヶ島
ともがしま

和歌山市北西部、紀淡海峡にある島。和歌山市に属す。沖ノ島(1.4平方キロメートル)、地ノ島(じのしま)(1.06平方キロメートル)と付属の小島からなる。名称は二島が並ぶことによる。古歌には伴島(ともがしま)、妹島(いもがしま)ともある。海没した和泉(いずみ)山脈山頂にあたり、沖ノ島の最高点は120メートル、海上に屹立(きつりつ)し、修験道(しゅげんどう)の行場跡がある。第二次世界大戦までは要塞(ようさい)地帯であった。戦後は瀬戸内海国立公園に編入、コウノ巣展望台や灯台を巡るハイキングコースがあり、観光化が進んでいる。和歌山市加太(かだ)港から沖ノ島まで定期船で約20分。沖ノ島には旅館もあるが、地ノ島は無人島。

[小池洋一]


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改訂新版 世界大百科事典 「友ヶ島」の意味・わかりやすい解説

友ヶ島 (ともがしま)

和歌山県北西端,和歌山市加太の西方,淡路島との間の紀淡海峡(友ヶ島水道)に浮かぶ島。地ノ島(全周約5.2km)と沖ノ島(全周約6.5km)からなり,沖ノ島には砂州で陸続きになった虎島,および神島が付属する。島は砂岩からなり,周囲は高さ20~50mの海食崖が発達,沖ノ島の野奈浦を除き無住である。沖ノ島には観念窟,序品窟など5ヵ所の葛城修験の行場があり,現在も毎年4月に本山派聖護院)修験の行が行われる。夏季にはキャンプ場も開かれ,海水浴客でにぎわう。瀬戸内海国立公園に含まれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「友ヶ島」の意味・わかりやすい解説

友ヶ島
ともがしま

和歌山県北西部,友ヶ島水道にある島群。和歌山市に属する。沖ノ島,地ノ島,虎島,神島の4島から成る無人島。総面積約 1.31km2。沖ノ島には修験道行場跡や第2次世界大戦までの要塞の砲台跡がある。戦後,観光地として開発され,加太港 (和歌山市) からの定期船がある。瀬戸内海国立公園の一部。

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