林 逸郎
ハヤシ イツロウ
昭和期の弁護士
- 生年
- 明治25(1892)年9月5日
- 没年
- 昭和40(1965)年2月5日
- 出生地
- 岡山県
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法学部〔大正9年〕卒
- 経歴
- 大正9年弁護士開業。東京第二弁護士会長、昭和37年日本弁護士連合会会長を務めた。この間、戦前には軍や右翼に顔が広く、井上日召らの血盟団事件、5.15事件、神兵隊事件、大本教事件など右翼関係の大事件の弁護を担当。戦後は極東軍事裁判で橋本欣五郎を弁護し、32年にはジラード事件の主任弁護人を務めた。また東条英機以下の「殉国七士の墓」建立にも尽力した。著書に「敗者」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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林逸郎 はやし-いつろう
1892-1965 昭和時代の弁護士。
明治25年9月5日生まれ。血盟団事件,五・一五事件などを担当。東京裁判では橋本欣五郎(きんごろう)の主任弁護人をつとめ,著書「敗者」で東京裁判を批判した。昭和37年日本弁護士連合会会長となり,任期中の昭和40年2月5日死去。72歳。岡山県出身。東京帝大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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林 逸郎 (はやし いつろう)
生年月日:1892年9月5日
昭和時代の弁護士。日本弁護士連合会会長
1965年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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