橋本欣五郎
はしもときんごろう
(1890―1957)
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橋本 欣五郎
ハシモト キンゴロウ
- 肩書
- 衆院議員(無所属倶楽部)
- 生年月日
- 明治23年2月19日
- 出生地
- 福岡県
- 学歴
- 陸士(第23期)〔明治44年5月〕卒 陸大〔大正9年11月〕卒
- 経歴
- 満州里特務機関長、トルコ公使館付武官など歴任の後、昭和5年参謀本部ロシア班長。同年根本博中佐、長勇大尉ら陸大卒の将校を中心に桜会を結成、未発に終わったクーデター計画3月事件(6年)および10月事件の主謀者。9年陸軍大佐。10月事件では行政処分。11年の2・26事件後の寺内粛軍人事で予備役とされたが、12年の日中戦争で砲兵連隊長として召集。揚子江上のイギリス砲艦レディバード号砲撃事件を引きおこし退役となった。以後大日本赤誠会を組織し、17年の総選挙に当選。18年翼賛政治会総務を務める。戦後A級戦犯として終身刑を科されたが、30年仮出獄。31年参院選全国区に立候補したが落選。中野雅夫著「橋本大佐の手記」は戦後発見された手記を紹介、解説したもの。
- 没年月日
- 昭和32年6月29日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
橋本 欣五郎
ハシモト キンゴロウ
大正・昭和期の陸軍大佐 衆院議員(無所属倶楽部)。
- 生年
- 明治23(1890)年2月19日
- 没年
- 昭和32(1957)年6月29日
- 出生地
- 福岡県
- 学歴〔年〕
- 陸士(第23期)〔明治44年5月〕卒,陸大〔大正9年11月〕卒
- 経歴
- 満州里特務機関長、トルコ公使館付武官など歴任の後、昭和5年参謀本部ロシア班長。同年根本博中佐、長勇大尉ら陸大卒の将校を中心に桜会を結成、未発に終わったクーデター計画3月事件(6年)および10月事件の主謀者。9年陸軍大佐。10月事件では行政処分。11年の2・26事件後の寺内粛軍人事で予備役とされたが、12年の日中戦争で砲兵連隊長として召集。揚子江上のイギリス砲艦レディバード号砲撃事件を引きおこし退役となった。以後大日本赤誠会を組織し、17年の総選挙に当選。18年翼賛政治会総務を務める。戦後A級戦犯として終身刑を科されたが、30年仮出獄。31年参院選全国区に立候補したが落選。中野雅夫著「橋本大佐の手記」は戦後発見された手記を紹介、解説したもの。
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橋本欣五郎 (はしもときんごろう)
生没年:1890-1957(明治23-昭和32)
十五年戦争期の軍人。福岡県出身。陸軍士官学校,陸軍大学校卒業。トルコ公使館付武官時代ケマル・パシャに強い感化をうけて帰国,国家改造を目的に参謀本部少壮将校等を集めて1930年桜会を結成,翌年の三月事件,十月事件の中心となった。36年大佐で予備役になると,ファシスト運動を推進すべく大日本青年党を結成。37年連隊長として召集され,イギリス砲艦レディーバード号砲撃事件をおこした。48年A級戦犯として終身禁錮刑に処せられたが,55年に仮出所した。
執筆者:桂川 光正
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橋本欣五郎【はしもときんごろう】
陸軍砲兵大佐。岡山県出身。桜会の発起人。軍部による国家改造・対外武力進出を唱え,三月事件・十月事件を計画,二・二六事件で待命となり,ファシスト運動を推進する大日本青年党を結成した。日中戦争では砲兵連隊長として応召,南京(ナンキン)付近の揚子江上で英国砲艦レディバード号などを撃沈。第2次大戦後A級戦犯として終身禁錮(きんこ)刑。
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橋本欣五郎
はしもときんごろう
[生]1890.2.19. 福岡
[没]1957.6.29. 東京
陸軍軍人。 1911年陸軍士官学校,20年陸軍大学校卒業。ハルビン特務機関,満州里特務機関長など,おもに諜報活動に従った。 30年革新派軍人の結社「桜会」を結成,34年大佐,野戦重砲兵第2連隊長となったが,満蒙問題の解決と国家改造を主張し,36年二・二六事件に連座して予備役になった。日中戦争に応召,37年イギリス砲艦『レディーバード』を揚子江で砲撃して退役。大日本赤誠会を組織し,42年衆議院議員。戦後A級戦犯として,終身禁錮の判決を受け,55年仮出獄した。
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橋本欣五郎
はしもときんごろう
1890.2.19~1957.6.29
昭和期の軍人。陸軍大佐。岡山県出身。陸軍士官学校(23期)・陸軍大学校卒。トルコ公使館付武官などをへて,参謀本部ロシア班長となる。急進派将校による桜会を結成し,1931年(昭和6)の3月事件・10月事件の首謀者となる。2・26事件後予備役となり,大日本青年党を結成。日中戦争で召集され,レディバード号事件をおこす。40年大政翼賛会常任総務となり,42年の翼賛選挙で衆議院議員。第2次大戦後,A級戦犯として終身刑。
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橋本欣五郎 はしもと-きんごろう
1890-1957 大正-昭和時代前期の軍人。
明治23年2月19日生まれ。陸軍中堅将校を中心に桜会をつくり,昭和6年クーデターをくわだて失敗(三月事件,十月事件)。陸軍大佐。のち大日本青年党統領,大日本赤誠会会長。17年衆議院議員。戦後,A級戦犯として終身刑となり,30年仮出所した。昭和32年6月29日死去。67歳。福岡県出身。陸軍大学校卒。
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橋本欣五郎
はしもときんごろう
1890〜1957
昭和期の陸軍軍人
岡山県の生まれ。陸大卒。桜会の首領として1931年三月事件・十月事件を企図。二・二六事件後予備役となったが,以後も国家主義運動に参加し,大戦中は翼賛政治会代議士副会長としてファシズムを推進した。第二次世界大戦後,A級戦犯として終身禁錮刑に処せられた。
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橋本 欣五郎 (はしもと きんごろう)
生年月日:1890年2月19日
大正時代;昭和時代の陸軍軍人;政治家。大佐;衆議院議員(無所属倶楽部)
1957年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の橋本欣五郎の言及
【行地社】より
…講演会や出版活動を通して小学校教員や学生などへの働きかけも行われたが,活動の力点は,大川の古くからの人脈を利用して陸軍中央,とりわけ参謀本部の中堅将校への働きかけにおかれた。この結果,板垣征四郎,橋本欣五郎,花谷正らが講演や寄稿の形で参加したり,多くの青年将校が《日本》の読者となるなど,陸軍内に一定の思想的影響力をもつことができた。31年の全日本愛国者共同闘争協議会の結成に狩野が積極的な役割を果たしたりしたが,32年大川が神武会を新たに結成したのに伴い解消した。…
【桜会】より
…国家改造をめざす陸軍将校の結社。参謀本部第2部ロシア班長[橋本欣五郎]中佐は,トルコ公使館付武官時代にケマル・アタチュルクの影響をうけ,クーデタによる政権奪取に心酔するようになり,1930年10月国家改造に関心をもつ中佐以下の現役将校約20名で桜会を結成した。趣意書では〈内治外交上の行詰りは政党者流が私利私欲の外一片の奉公の大計なきに由来する〉とし,〈天皇を中心とする活気あり明らかなるべき国政の現出〉をうたった。…
【三月事件】より
…1931年の日本陸軍によるクーデタ未遂事件。前年10月[桜会]を結成した参謀本部ロシア班長橋本欣五郎中佐らは,31年2月第59議会が幣原喜重郎首相代理の失言問題で大混乱に陥ったのをみて,クーデタを遂行し宇垣一成陸相を首班とする内閣を樹立しようとはかった。建川美次参謀本部第2部長をはじめ二宮治重参謀次長,杉山元陸軍次官,小磯国昭軍務局長ら宇垣周辺の陸軍首脳部は橋本らに呼応し,積極的に画策をすすめた。…
【十月事件】より
…陸軍を中心とするクーデタ未遂事件。1931年[三月事件]が未遂に終わったのち[桜会]の橋本欣五郎中佐らは,関東軍幕僚に呼応して満州事変を遂行するため,事変不拡大方針の第2次若槻礼次郎内閣を倒すクーデタを計画した。桜会員の隊付青年将校ら,大川周明・北一輝・井上日召らの民間右翼もこれに参加し,建川美次参謀本部第一部長をはじめ陸軍首脳部も橋本らをそそのかす態度をとった。…
※「橋本欣五郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」