1933年(昭和8)民間の右翼勢力が中心となり計画、未遂に終わったクーデター事件。愛国勤労党の天野辰夫(あまのたつお)や大日本生産党青年部長の鈴木善一らが中心となり、安田銕之助(てつのすけ)(予備役陸軍中佐)、山口三郎(海軍航空廠(しょう)飛行実験部員、中佐)らの参画を得て神兵隊と称した。計画は、全国から動員した3600名をもって重臣、閣僚、政党幹部および本部、警視庁、銀行などを襲撃。飛行機による爆撃も行い、斎藤実(まこと)内閣を倒し、戒厳令下で皇族内閣の樹立を図り、国家改造を推進するというものであった。1933年7月11日、前夜から国難打開、国防祈願を装って明治神宮外苑(がいえん)に集まった49名が検挙され、計画は失敗に終わった。この事件は刑法第78条の内乱罪をもって訴追され、大審院で116回の公判が重ねられた。この過程で被告側は執拗(しつよう)に国体明徴の裁判闘争を展開し、その結果、内乱罪の成立を否定し、全被告の無罪という政治的色彩の濃い判決を導き出した。五・一五事件に触発されたクーデター事件の一つである。その後、愛国勤労党は自然消滅に近い状態になり、大日本生産党は津久井竜雄、三宮維信を除名することにより青年部を失い分裂した。
[榎本勝巳]
1933年愛国勤労党の天野辰夫,前田虎雄らが画策したクーデタ未遂事件。天野らは,大日本生産党の鈴木善一やかつて東久邇宮付武官であった安田銕之助予備陸軍中佐,山口三郎海軍中佐らを誘い,33年7月11日に首相官邸,牧野伸顕内大臣官邸,警視庁,政党本部,日本勧業銀行などを襲撃し,戒厳令を実施させて皇族首班内閣をつくろうとした。その実行グループとして大日本神兵隊を組織した。しかし決行日前日の10日夜に警視庁に探知され,次々に検挙された。首謀者たちは,日本が国際連盟脱退後国際的に孤立していくことに危機感をいだき,現状維持的な重臣,財閥,既成政党を襲撃し,斎藤実内閣を打倒して軍国主義的な〈国防の充実〉を行う新内閣をつくろうとした。首謀者は内乱予備陰謀罪に問われたが,裁判では被告の攻勢に担当の大審院判事が屈服して,41年有罪だが免訴とするとの異例の判決が下された。
執筆者:吉見 義明
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1933年(昭和8)7月におきた民間右翼を中心としたクーデタ未遂事件。刑法施行後唯一の内乱予備事件として審理されたが,41年3月の判決は殺人予備・放火予備罪で,刑は免除された。事件の首謀者は愛国勤労党の天野辰夫,予備役陸軍中佐の安田銕之助(てつのすけ),井上日召系の僧侶前田虎男。首相・閣僚・内大臣らを殺害し,民政党・政友会の本部を襲撃後,皇道政治を復活し昭和維新を断行するとしていた。首謀者は決起者を「神兵隊」とよび,大日本生産党,国学院大学生のほか神武会(じんぶかい)大阪支部など7団体が参加。計画は3度変更され,計画実行前夜の7月11日に全員逮捕された。クーデタが成功したときは,臨時非常時内閣として東久邇宮(ひがしくにのみや)を首班に閑院宮など皇族を閣僚とする皇族総出内閣を計画していた。
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