日本大百科全書(ニッポニカ) 「長瀞藩」の意味・わかりやすい解説
長瀞藩
ながとろはん
出羽(でわ)国(山形県)村山郡の一部を領有した譜代(ふだい)藩。長瀞(東根(ひがしね)市)はもと山形藩最上(もがみ)氏領、のち幕府領となり代官の出張陣屋が置かれた。1798年(寛政10)譜代藩主米津通政(よねきつみちまさ)が武蔵(むさし)国久喜(くき)(埼玉県)から移封して成立。1万石のうち城付領地6400石分、他は上総(かずさ)・下総(しもうさ)・常陸(ひたち)にあった。村山地方の村も、長瀞、二藤袋(にとうぶくろ)、原田、上ノ畑(かみのはた)など7か村に分散。藩主は、通政ののち、政懿(まさよし)、政易(まさやす)、政明、政敏と嗣(つ)ぎ、1869年(明治2)城地が上総国山辺(やまべ)郡大網(おおあみ)に移り廃藩。幕末には上ノ畑焼の陶器業をおこした。
[横山昭男]