アリストニコス(英語表記)Aristonikos

改訂新版 世界大百科事典 「アリストニコス」の意味・わかりやすい解説

アリストニコス
Aristonikos
生没年:?-前128

ペルガモン王国最後の王アッタロス3世の異母弟。アッタロスが死去にあたり,遺言によってその領土をローマに譲渡したとき(前133),王位継承と独立を主張して蜂起した。ローマは王国内の親ローマ派=富裕市民と結び,軍隊を派遣して蜂起を鎮圧しようとした。アリストニコスは,富裕市民に不満をもつ隷農奴隷を〈太陽の市民〉(ヘリオポリテスHēliopolitēs)として解放するとよびかけ,かれらを結集してしばしばローマ軍を破り,全アシア(小アジア)を内乱と戦争にみたす勢いで4年間頑強に戦った。ローマの将軍ペルペルナPerpernaは兵糧攻めによって,ストラトニケイアでアリストニコスを降伏させ,ローマに送って処刑した。しかし,隷農や奴隷などペルガモン人民の抵抗はやまず,ローマは泉に毒をいれるなど邪悪な臨機の処置をとってそれにとどめをさした。この結果,ペルガモンは属州〈アシア〉として,ローマ支配下で重圧にあえぐこととなった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アリストニコス」の意味・わかりやすい解説

アリストニコス
Aristonikos

[生]?
[没]前128
ペルガモン王。おそらくペルガモンのエウメネス2世庶子アッタロス3世死後のペルガモン王国のローマへの遺贈に際し,民衆の蜂起を指導した。動機は民族的,反ローマ的であるとともに下層民,特に奴隷や非ギリシア人を吸引することにあった。彼の構想した太陽国家 Heliopolisは社会革命的プログラムを示唆していた。初めに若干成功を収めたが,有産市民に裏切られ,ローマ軍に捕えられ処刑された。

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世界大百科事典(旧版)内のアリストニコスの言及

【アッタロス[3世]】より

…動機は未詳である。だが弟アリストニコスは王位継承を主張,おもに下層民・奴隷から成る同志を集め,ローマと戦ったが敗北し(アリストニコスの反乱),前129年この地にローマの属州アシアが建設された。【田村 孝】。…

※「アリストニコス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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