ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「ペルガモン」の解説
ペルガモン
Pergamon
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トルコ西端、エーゲ海に面した古代のミュシア地方の都市。海岸から約25キロメートル内陸のカイコス川流域に位置し、ヘレニズム時代に繁栄した。現在名はベルガマBergama。紀元前3世紀の、セレウコス朝から独立したアッタロス家の支配以後歴史が始まる。エウメネス2世のとき小アジアの大部分を領有したが、のちローマ領となり、属州アジアの中心となった。アッタロス家諸王はペルガモンの丘陵に壮麗な都市を建設し、頂上のアクロポリスには城壁を巡らし、宮殿、図書館、アテネ神殿、大浮彫りで知られる「ゼウス神殿の大祭壇」が建設され、エジプトのアレクサンドリアと並ぶ大都市となった。美術でもヘレニズム美術を発達させ、とくに『瀕死(ひんし)のガリア人』『ガリア人とその妻』などの彫像はその代表作である。
[糸賀昌昭]
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…この分類の仕方は順序こそ違え,17世紀になってF.ベーコンが知識の分類にあげる3区分(哲学,歴史,詩)にほぼ対応する。 小アジアのペルガモンにもエウメネス2世の建てた図書館があったが,後年エジプト女王クレオパトラの歓心を買うため,ローマの将軍アントニウスがここの蔵書を彼女に与え,大量の本がアレクサンドリア図書館に入ったとの伝説が生まれた。学術文化の面で,ペルガモンと張り合ったアレクサンドリアの人々は,貴重な書字素材であるパピルスのペルガモンへの輸出を禁止した。…
…小アジア北西部の都市ペルガモンPergamon(現,トルコ領ベルガマ)を中心に,最盛期はミュシア,リュディア,フリュギア,ピシディアの各地方にまでまたがったヘレニズム時代の王国。前282年マケドニア系のフィレタイロスPhiletairosがセレウコス朝の宗主下にこの都市の支配者となり,前278‐前276年にガラティア人の侵入を退けてアッタロス王朝の基礎を確立した。…
…このような古典主義的見方は後の人文主義者たちに受け継がれ,永い間,ヘレニズム時代は,ギリシア美術の衰退期と見なされてきた。この見解を根本から変えたのが,アッタロス王国の首都ペルガモンの遺跡の発見(1878)であった。ここに出土した建築とそれを飾っていた彫刻の遺品は,クラシック時代のものとは異なる,独自の価値をもつ力強い美術様式を示していた。…
…羊皮紙は東洋の製紙法が伝わり普及するにつれて衰退し,今日では装本材料としておもに用いられる。羊皮紙の発明は,大プリニウスによれば,前2世紀エジプトからのパピルス輸入を封じられたペルガモン王エウメネス2世が,対抗策として発明したといわれる。しかし皮を半透明の極薄手になめす技術は,すでに前10世紀の小アジアに存在した。…
※「ペルガモン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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