グエン・チ・ビン(読み)ぐえんちびん(英語表記)Nguyên Thi Binh

日本大百科全書(ニッポニカ) 「グエン・チ・ビン」の意味・わかりやすい解説

グエン・チ・ビン
ぐえんちびん
Nguyen Thi Binh
(1927― )

ベトナムの女性政治家。祖父ファン・チューチン以来父祖3代の民族解放の闘士。1951~1954年獄中生活。1960年12月南ベトナム解放民族戦線の結成とともに参加。1968年拡大パリ和平会談に解放戦線次席代表、1969年臨時革命政府樹立に伴い外相就任、1973年ベトナム和平協定に同政府を代表して調印。さらに1976年統一ベトナムの教育相に就任、1982年ベトナム共産党第5回党大会で党中央委員に選出される。1992年副大統領に就任。

[黒柳米司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グエン・チ・ビン」の意味・わかりやすい解説

グエン・チ・ビン
Nguyên Thi Binh

[生]1927. サイゴン
ベトナムの女性政治家。祖父は反仏抗争の指導者ファン・チュー・チン,父も民族主義者グエン・アイ・ニン。パリに留学し,学生時代から政治運動に参加。 1950年進歩主義婦人協会委員,サイゴン (現ホーチミン市) の学生,知識人運動の指導者として活躍し,51~54年入獄。のちサイゴンで反ゴ・ジン・ジェム政権運動を行い,60年南ベトナム解放民族戦線に参加。解放婦人連合会副議長。 62年解放戦線代表としてヨーロッパ諸国歴訪。 69年6月南ベトナム臨時革命政府 PRG樹立とともに外相就任,パリ会談首席代表。 73年にはベトナム和平協定に署名した。 76年4月の統一国民議会選挙に共産党中央委員としてホーチミン市から出て最高点で当選,同年7月ベトナム社会主義共和国の教育相に就任。 92年9月から副大統領。

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20世紀西洋人名事典 「グエン・チ・ビン」の解説

グエン・チ・ビン
Nguyen Thi Binh


1927 -
ベトナムの政治家。
ベトナム国家副主席。
サイゴン生まれ。
祖父ファン・チュ・チン以来三代にわたる民族解放運動家。学生時代に婦人愛国運動で活動、デモに参加、逮捕され’51〜’54年獄中生活を送る。釈放後、結婚。’60年南ベトナム解放民族戦線が結成されると同時に参加。解放婦人連盟副委員長をつとめる。’68年パリ和平会談に次席代表として出席。’69年臨時革命政府樹立、外相。’73年ベトナム和平協定に首席代表で調印。’76年ベトナム社会主義共和国教育相となる。’82年ベトナム共産党中央委員に選出される。’87年国家評議会副議長。’92年には国家副主席(副大統領)となる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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