今富名(読み)いまとみみよう

日本歴史地名大系 「今富名」の解説

今富名
いまとみみよう

若狭国遠敷おにゆう郡を中心に、三方郡大飯郡にわたって散在していた国衙税所さいしよ領。「若狭国税所今富名領主代々次第」(以下「次第」と略す)によると、代々の税所職がこれを管掌し、公文職も設置されていた。その関係で室町時代には税所今富名あるいは税所今富とよばれることのほうが多く、またそれが地名化した。「次第」には建久七年(一一九六)より応永三〇年(一四二三)に至る税所職・税所代・公文職の氏名任期などが記載され、今富名についての三二〇余年にわたる変遷が知られる。すなわち税所職の最初は在庁官人稲庭権守時定であるが、源頼朝の勘気を被って建久七年八月に得替され、若狭次郎兵衛尉忠季が拝領している。またこの頃の公文は阿弥陀坊で、同年九月一日より建仁三年(一二〇三)八月三日まで知行している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の今富名の言及

【今富荘】より

…中心部は現,福井県小浜市内。本来は国衙税所(さいしよ)の別名(べちみよう)で,税所今富名と呼ばれた。1265年(文永2)3月の遠敷(おにゆう)郡中手西・同東両郷の検田取帳案に名称が載るのが史料上の初見。…

【小浜[市]】より

…1265年(文永2)3月の若狭中手西郷検田取帳案の朱注や,同11月の若狭国惣田数帳写に記されているのが地名の早い所見(東寺百合文書)。中世の小浜は,国衙税所(さいしよ)領今富名(いまとみみよう)(今富荘)に属し,この名は若狭守護が伝領して,ここを支配の拠点としたところから,一国の政治・文化の中心となり,重要港湾として経済的発達も著しかった。鎌倉期には,初期の津々見氏のあと北条氏嫡流(得宗)が守護職を相伝,南北朝期にはしばしば守護が交替したが,1366年(正平21∥貞治5)以後は,一色氏が4代にわたって守護となる。…

※「今富名」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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