特定個人の同一性を社会的に確定する機能をもった,ひとりひとりに付される呼称で,氏(うじ)と名(な)からなる。〈姓名〉〈名字(苗字)と名前〉〈名前〉などの言い方もある。個人の〈なまえ〉とされる全体(フルネームfull name)は,国により民族により異なっており,名と氏(姓)の組合せによるもの,氏という概念を伴わずに名と父称(母称)の組合せによるもの(アイスランド),あるいは名だけ(ミャンマー,インドネシアの庶民階級など),というところなどがある。日本では,氏と名という二つの要素が組み合わされて成り立っている。自己の氏名の専用を他から害せられない権利として氏名権がある。氏名権は人格権の一種とされ,自己の氏名を無断で使用している者に対しては,それを禁止したり損害賠償の請求をすることができる。〈なまえ〉は単に人の識別の手段であるにとどまらず,それによって自分が自分であることを自覚し,人間の尊厳を保つ礎ともなっている。国連加盟国が批准した児童の権利に関する条約7条に,〈児童は,出生の時から氏名を有する権利及び国籍を取得する権利を有する〉とうたわれているのは,児童の〈なまえ〉は国籍とともに基本的人権にかかわる重大な意義をもつ,という認識をもとにしている。〈なまえ〉のうち〈氏〉のあり方について,とくに婚姻の際の妻の氏のあり方につき,各国の氏をめぐる法制には変化が現れつつある。今日では,巨視的にみれば,各国の氏をめぐる法制は,個人の尊厳と両性平等の理念を反映して,夫の氏の強制からしだいに当事者の意思による選択制へと移行する傾向にあるといえよう。
世界の他の国々で妻が〈夫の氏を名乗る〉,あるいは〈夫の氏に変わる〉とき,彼らは決して日本女性のように,その反射的効果として〈出生氏〉を法律上完全に消去させられてはいない。それらは,氏の法的な変更を伴わない〈夫の氏の使用権の取得〉であったり(フランス),自分の氏と夫の氏との〈結合氏〉であったりする(イタリアなど)。また,妻も夫も〈出生氏〉を生涯維持する夫婦別姓の国もあれば,別氏・同氏・結合氏から選べる国も多い。〈名〉こそが個人を特定する表象であり,名に付随して男性は〈親の名+ソン〉,女性は〈親の名+ドッティル〉という〈父称(ないし母称,あるいは父称と母称との結合)〉を〈ラースト・ネーム〉としてもつ国もある(アイスランド)。超世代的に家名を男系血統で継承する制度をもつ国は少数派といえよう。
日本では夫婦同氏(同姓)の強制のもとで,およそ98%の妻は年齢・職業のいかんにかかわらず結婚改姓を余儀なくされ,さらに離婚時には復氏(旧姓)を原則とされるなど(1976年の〈婚氏続称〉新設前は復氏の強制),氏(姓)をめぐる法制度は,いまなお男系血統の〈家〉制度的発想を投影しており,ときに子どもや女性の生命体としての基本的存在を脅かすものとなっている。
1996年2月,法制審議会での5年にわたる審議経過を経て,〈夫婦別姓〉選択制を含む〈民法の一部を改正する法律案要綱〉が法務大臣に答申された。その背景には,一生を通して広く社会的に活動し,自立的な生を選ぶ女性が多くなるにしたがい,結婚改姓に伴う不利益や矛盾が顕在化し,個人の尊厳・両性平等の見地から,夫妻ともにいままでの氏(姓)を維持した別姓でも婚姻の届出をして法律上の夫婦となれる,別姓選択の自由を盛り込んだ民法改正の機運が高まってきたことがあげられる。しかし,〈別姓は家族の一体感を破壊する〉という立場からの反対論が急浮上し,同年6月に衆参両院から計三つ提出された民法改正〈議員立法〉案はいずれも廃案となった。氏(姓)をめぐる法制度の追究と併せて,日本でも,互いに〈名〉で呼び合う人間関係や個人の〈名〉を尊重する社会慣習の創造を模索してゆくことはできないであろうか。
→人名
日本人ひとりひとりが自分の氏をもつようになったのは,江戸時代の特権的苗字制が崩れた明治になってからのことである。すなわち,1870年(明治3)9月19日に太政官は〈自今平民苗氏被差許候事〉という布告を発し,これにより,一般庶民が氏を有することが許された(苗字帯刀)。しかしそれは,すべての国民が氏名によって表象された自由・独立・平等な〈人〉であることを認められ,その〈人〉によって法律行為が円滑に行われる,という近代的市民生活の発展を明治政府が志向したからではなく,徴税と兵役を主眼とした国家による国民把握のためであった。その後,71年戸籍法(壬申戸籍)に始まる戸籍制度の発展,および民法旧規定(明治民法)の成立を経て,日本国民は一定の〈家〉に所属することとなった。旧法では氏は〈家〉の象徴であり,〈戸主及ヒ家族ハ其ノ家ノ氏ヲ称ス〉(746条)の規定によって,個人の氏は必然的にその人が属する〈家〉(それが家籍として戸籍簿に表現されている)の氏によった。そして〈家〉を同じくする者の間で,親権,扶養,相続などの権利義務関係が発生した。その状態は,戦後の民法改正による〈家〉制度の廃止まで続いた。
→戸籍 →家族制度
一般的には〈名〉が個人の呼称であることは民法旧規定のときから変りはなく,〈氏〉についても,〈家〉制度を廃止した現行規定(1947年に旧規定を改正)においては,単なる個人の呼称にすぎなくなった,と説明されている。しかしながら現行規定では,夫婦,親子(実子・養子)という親族的身分関係を基礎として氏を決定している。氏はまた戸籍の編製基準となっており,戸籍は原則として,夫婦とこれと氏を同じくする子を単位として編製され,氏の異同や変動は戸籍の編製のしかたを左右する。また氏の変動が祭祀財産の承継権の喪失をもたらしたり,恩給法(1923公布)などによる遺族給付の受給権の喪失や受給順位の優劣をもたらす場合もある。すなわち,法律は,氏に個人の呼称プラスアルファの要素を持たせ,個人の呼称として純化してはいない。
名は,出生直後における命名によって定まる。子の名に用いる文字には〈常用平易な文字〉(戸籍法50条1項)という制約があり,その文字の範囲は戸籍法施行規則に定められている。命名権者がだれであるのかについては,民法にも戸籍法にも明文規定はなく,二つの説が存在する。その一は命名は親権の一作用であり,子のために親権者(通常は父母)が行う行為であるという説である。その二は,命名は子の固有権であり,親をはじめ最も命名に適するものが,子の固有権を事務管理的に代行して行うという説である。だが〈親権〉は今や明治民法時代の〈家父長の権力〉を意味するものではなく,〈子の権利の実現のために親に課された重い義務〉ととらえられる。そこでどちらの説でも,子の立場を尊重して命名することにちがいはないともいえよう。14日以内に命名できないときは,〈名未定〉で出生届を出し,後に追完届を行う。
戸籍に記載されている〈名の変更〉(いわゆる改名)は,家庭裁判所に審判を申し立て〈正当な事由〉があると判断されれば許可される(戸籍法107条の2)。
次に〈氏〉について述べよう。現行民法では,家制度を廃止した結果,旧法とは別の原則をとることとなった。まず,子が出生後最初に取得する氏は一定の親と同一の氏である。実質的には,その子を生んだ女性の身分法上の地位によって法定化されているということができる。すなわち,子の母が妻という身分で婚姻中に懐胎したのであれば,その子は嫡出子であり,父母の氏を称する(民法790条1項)。他方,子の母がだれとも法律上の婚姻関係をもっていない場合はその子は非嫡出子(嫡出でない子)であり,母の氏を称する(同条2項)。つまり依田太郎・花子夫妻の嫡出子は依田という氏を称し,父母の戸籍に入籍され,春樹と命名されれば,依田春樹という氏名をもつことになる。また,朝野花子の非嫡出子は朝野という氏を称し,母の戸籍に入籍され,実と命名されれば,朝野実という氏名をもつのである。
このように民法は親子同氏の原則に立ってはいるが,民法上の身分行為(婚姻,養子縁組など)による法律的効果として当然に発生する〈氏の変更〉は認めている。さらに,それ以外の一般規定として,子が親の離婚などによって父・母と後発的(ないし生来的)に氏を異にした場合には,子は家庭裁判所の審判(家事審判法9条1項甲類6号)による許可を得て,その親の氏に変更することができるという〈子の氏の変更〉(民法791条,戸籍法98条,99条)の制度が設けられている。そのほか,そのようにして民法上定まっている氏を称することが当事者にとって不都合である場合に,それが〈やむを得ない事由〉にあたると家庭裁判所が判断すれば氏の表記(呼称)を変更するという,戸籍法所定の〈氏の変更〉(〈民法上の氏〉の変更と区別して,〈呼称上の氏〉の変更と呼ばれる)の制度がある(戸籍法107条1項)。いわゆる改氏である。
すなわち,現行民法において依田太郎と朝野花子は結婚する際に,依田か朝野かを夫婦共通の氏として定めなければならない(民法750条)。もしそれが依田と決まれば,両当事者間の子春樹も依田を名のることになる(790条1項)。春樹が養子であっても同様であるが(810条),養子は離縁後は原則として実親の氏に復さなければならない(816条本文)。ただし,7年以上養子であった者については,離縁後も〈縁氏続称〉を選択することが認められている(同条2項)。婚姻中に花子が夫太郎と死別した場合には,朝野に復氏すると否との,また太郎の血族との間の姻族関係を終了させると否との選択の自由がある(751条,728条2項)。太郎と花子が離婚した場合には,婚姻の際に氏を改めた者(この場合,花子)は,復氏する(767条1項)。ただし離婚の日から3ヵ月以内に婚氏の称氏届を出せば,〈離婚の際に称していた氏〉(この場合,依田)を称することもできる(同条2項)。親の離婚の際に子である春樹も,〈子の氏の変更〉審判による許可を得て依田から朝野に変更できるし(791条),親権者は子の称する氏に関係なく父または母のいずれかに定めることもできる。当事者が称している氏にかかわりなく,その父母を相続する権利があることはいうまでもない。
帰化行政においては,申請者に〈日本的氏名〉を称するよう行政指導が行われ,帰化後の〈氏名〉を〈子の名に用いる文字〉(戸籍法50条1項)の範囲に限定してきたとされる。これについては,氏名が民族的出自を示す自己のアイデンティティの確立と密接不可分のものであり,国際社会の趨勢に照らしても批判されている。また,在日外国人の多数を占める,朝鮮・韓国籍者に対する日本的氏名への通名強要の問題性も指摘されている。
国籍を異にする者の間で婚姻などの身分行為が行われたり,国際結婚から子どもが生まれたり,あるいは,外国人が日本で姓の変更をしようとしたりするときには,当事者の氏(姓)に関する問題がどの国の法によって決定されるのか,という国際私法上の氏の準拠法決定という問題が発生する。出生の際の取得,本人の意思による変更の可否,婚姻や養子縁組などの身分行為に伴う変更の有無など,氏をめぐる諸問題につき諸国の法制は一様ではないからである。しかし,戸籍実務の場では,日本の〈氏〉は外国とは異なり,戸籍制度上の公法的性格を有するものであるとみなし,国際私法の理論にはまったく関係させない取扱いをしている。すなわち,外国人との婚姻によって日本人の〈民法上の氏〉は変更されえないとし,婚姻事項を戸籍の身分事項欄に記載するに留めてきた。のち,1984年の国籍法・戸籍法改正によって,国際結婚した日本人は,新戸籍が編製され,さらに婚姻の日から6ヵ月以内に届け出れば,戸籍表記上の氏を外国人配偶者の姓に変更できる,として従来の実務の取扱いを一部修正した。子についても父か母の外国姓を名のれる道をひらいた。
執筆者:星野 澄子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…また,特別法で差止請求権が規定されている場合がある。たとえば,周知された他人の氏名,商号,商標等と同一または類似のものを使用した商品を販売,輸出等をする者等に対して,営業上利益を侵害されるおそれのある者は差止めを請求しうる(不正競争防止法条)。また,特許権者等は自己の特許権等を侵害する者または侵害するおそれがある者に対し,その侵害の停止または予防を請求することができる旨の規定がある(特許法100条,同趣旨の規定が商標法36条,意匠法37条,実用新案法27条,著作権法112条)。…
…これは1人が幾種類かの名を帯びる社会的な慣習である。日本では特に複名が多く,諱(いみな)(名乗(なのり))のほか,幼名(童名(わらわな)),通称,字(あざな),別号(候名(さぶらいな),芸名,源氏名,筆名,雅号,画号,俳号,狂名,等々),渾名(あだな),法名,戒名,諡(おくりな)等々が同一人に対して用いられることが多い。滝沢馬琴の公式の名は源興邦(おきくに)であるが,彼は本名のほか34の名をもっていたことで知られる。…
※「氏名」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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