日本歴史地名大系 「今治城下」の解説
今治城下
いまばりじようか
〔城下町の形成〕
今治町の町割は、今治築城工事が開始された翌年の慶長八年二月から始められた。城郭の北方、
道幅は中心の本町が二間半と広く、他の町は一間余で、道路の両側には大島石の長石が敷かれ、家屋側の切石との間に排水路が作られていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
今治町の町割は、今治築城工事が開始された翌年の慶長八年二月から始められた。城郭の北方、
道幅は中心の本町が二間半と広く、他の町は一間余で、道路の両側には大島石の長石が敷かれ、家屋側の切石との間に排水路が作られていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…本州四国連絡橋今治~尾道ルート(西瀬戸自動車道)の建設が98年度末に開通予定で進められている。【穐岡 謙治】
[今治城下]
伊予国の城下町,瀬戸内海交通上の要地。1600年(慶長5)藤堂高虎(20万石)が領主となり,02年から今張城を築城した。…
※「今治城下」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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