伊勢義盛(読み)いせ よしもり

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊勢義盛」の解説

伊勢義盛 いせ-よしもり

?-1186 平安時代後期の武士
源義経(よしつね)四天王のひとり。屋島・壇ノ浦戦いなどで活躍し,平宗盛・清宗父子を生け捕りにする。源頼朝と不和になった義経の西国落ちに随行するが,途中でわかれる。のち伊勢(いせ)(三重県)守護首藤経俊(すどう-つねとし)を襲撃し敗れ,文治(ぶんじ)2年7月自害したという。出身は伊勢とも上野(こうずけ)(群馬県)ともいわれる。通称三郎。名は能盛ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の伊勢義盛の言及

【伊勢三郎】より

…源義経の股肱(ここう)の郎等。名は義盛。俗に義経四天王の一人。《玉葉》《愚管抄》《吾妻鏡》にその名が見える。《平家物語》などによれば,源平合戦に義経に従い,志度で敵将田内左衛門の率いる3000余騎を無血で武装解除させ,壇ノ浦で平宗盛らを生け捕るなど活躍した。伊勢国が生国とも父の生国とも伝え,父は二見の住で大神宮神主のかんらひ義連とも,伊勢の河島二郎盛俊(魚名流)とも伝える。もと,鈴鹿山の山賊とも,上野国で山賊を生業としたとも伝え,その戦法や《義経記》に描く風貌に悪党的なところがうかがえる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」