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壇ノ浦 だんノうら

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

壇ノ浦
だんノうら

別称長門壇ノ浦。山口県南西端,下関市街地の東部,関門海峡早鞆ノ瀬戸北岸の地名。源平最後の合戦 (→壇ノ浦の合戦 ) の地として知られる。現在は鉄道関門トンネル,国道関門トンネル,関門橋が集中する交通の要衝で,国道関門トンネルの北に人道入口がある。付近には火ノ山公園があり,赤間神宮など名所・旧跡も多い観光地。瀬戸内海国立公園に属する。

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デジタル大辞泉の解説

だん‐の‐うら【壇ノ浦】

山口県下関市、早鞆(はやとも)の瀬戸の北岸一帯。源平合戦最後の戦場として知られる。→壇ノ浦の戦い
物事の悲劇的な結末たとえ

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百科事典マイペディアの解説

壇ノ浦【だんのうら】

山口県下関市,関門海峡の東端に臨む海岸。古くは壇と称され,1185年源平最後の海戦はこの沖合で行われた。平家にまつわる伝説や習俗が多く残っている。江戸時代末期には19門の砲台が備えられている。
→関連項目下関[市]沼田荘早鞆ノ瀬戸平家物語

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大辞林 第三版の解説

だんのうら【壇ノ浦】

山口県下関市、早鞆はやとも瀬戸の海岸一帯の地。源平最後の合戦場。安徳帝を祀まつる赤間神宮がある。

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日本の地名がわかる事典の解説

〔山口県〕壇ノ浦(だんのうら)


山口県下関(しものせき)市、関門(かんもん)海峡の最狭部に臨む海岸。源平合戦の平家滅亡の地として知られ、平家一族の敗北によって入水(じゅすい)した安徳(あんとく)幼帝にまつわる哀史が伝わる。檀ノ浦・壇之浦とも書く。安徳天皇を祀(まつ)る赤間(あかま)神宮や長州(ちょうしゅう)藩が幕末に築造した砲台跡がある。火()の山(やま)公園からの眺望がよい。海底を関門国道・山陽新幹線のトンネルが通り、中国縦貫自動車道九州縦貫自動車道を結ぶ関門橋が架かる。

〔香川県〕壇ノ浦(だんのうら)


香川県高松(たかまつ)市北東部、屋島(やしま)東麓(とうろく)の地名。1185年(文治(ぶんじ)元)の源平合戦の屋島の戦いの地で、平家はここから長門(ながと)(山口県)壇ノ浦へと敗走した。かつて屋島は島、壇ノ浦は入り江だったが、相引(あいびき)川の土砂により陸化。干拓されて住宅地となった。

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世界大百科事典内の壇ノ浦の言及

【牟礼[町]】より

…瀬戸内海国立公園に属する五剣山には四国八十八ヵ所85番札所八栗(やくり)寺があり,ケーブルカーが通じる。西部の高松市との間の入江は壇ノ浦で,六万寺,洲崎寺をはじめとして源平合戦にちなむ史跡が多い。【赤池 享一】。…

【屋島】より

…谷部西側には7世紀中ごろに築かれた屋島城のものとされる遺跡が残る。東側の入江が壇ノ浦であるが,702年大宝律令により讃岐3軍団の一つとして屋島軍団が置かれ,〈軍団の浦〉から壇ノ浦の名がきたといわれる。1185年(文治1)源平の間で屋島の戦が展開され,壇ノ浦一帯にはその史跡が多い。…

※「壇ノ浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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