大原談義ともいう。1186年(文治2)ころ、浄土宗の開祖法然(ほうねん)(源空(げんくう))が、のちに天台の座主(ざす)となる顕真(けんしん)の懇請によって、京都の大原勝林院(しょうりんいん)における各宗の学匠(がくしょう)の集会で、その独自の浄土の宗義を説き、談論したことをいう。東大寺の重源(ちょうげん)、三論宗の明遍(みょうへん)、法相(ほっそう)宗の貞慶(じょうけい)、天台宗の智海(ちかい)や証真(しょうしん)ら十数人が集まり、浄土の宗義について論じ問うた。法然が、中国の道綽(どうしゃく)、善導(ぜんどう)による浄土の一門の教えを説き、阿弥陀仏(あみだぶつ)の本願念仏の実践のみが悟りに至りうることを力説すると、顕真、重源はじめ聴衆一同は感銘を深くしたと伝える。そのようすは『法然上人(しょうにん)伝記』『西方指南抄(さいほうしなんしょう)』『本朝祖師伝記絵詞(えことば)』『法然上人絵伝』などにみられる。
[石田充之]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1186年(文治2)浄土宗の開祖法然が天台宗の学匠顕真の招請をうけ,洛北大原の勝林院において諸宗の碩学を相手に論議したこと。大原問答ともいう。ことの起りは,顕真が法然に会って出離の道をたずね,法然から阿弥陀仏の願力を強縁として凡夫が浄土に往生できる旨を聞いたが,なお疑心とけず,100日間籠居して浄土の典籍について研究し,その後改めて法然を招いて論談することになったものである。…
※「大原問答」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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