伊勢三郎(読み)イセノサブロウ

関連語 伊勢義盛

精選版 日本国語大辞典 「伊勢三郎」の意味・読み・例文・類語

いせ‐の‐さぶろう‥サブラウ【伊勢三郎】

  1. [ 一 ] 伊勢国の人。名は義盛。源義経の四天王の一人。平家追討に武名をあげた。
  2. [ 二 ] 新歌舞伎十八番の一つ。河竹黙阿彌作。本名題「莩(みばえ)源氏陸奥日記」。源義経と伊勢三郎との対面を描いたもの。いせのさむろう。

伊勢三郎の補助注記

語り物などでは「いせのさむろう」と読ませることが多いが、平曲譜本である「平家正節」では、「いせのさぶろう」と読ませている。

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改訂新版 世界大百科事典 「伊勢三郎」の意味・わかりやすい解説

伊勢三郎 (いせのさぶろう)
生没年:?-1186(文治2)

源義経の股肱(ここう)の郎等。名は義盛。俗に義経四天王の一人。《玉葉》《愚管抄》《吾妻鏡》にその名が見える。《平家物語》などによれば,源平合戦に義経に従い,志度で敵将田内左衛門の率いる3000余騎を無血で武装解除させ,壇ノ浦で平宗盛らを生け捕るなど活躍した。伊勢国が生国とも父の生国とも伝え,父は二見の住で大神宮神主のかんらひ義連とも,伊勢の河島二郎盛俊(魚名流)とも伝える。もと,鈴鹿山の山賊とも,上野国で山賊を生業としたとも伝え,その戦法や《義経記》に描く風貌悪党的なところがうかがえる。鈴鹿山で伯母聟与権守,または伊勢守景綱を殺し,上野国に流されたなどとも,日光育ちの児(ちご)とも伝え,義経との邂逅(かいこう)は同国松井田(荒蒔郷,板鼻などとも)でのこととされる。のち,伊勢に帰り守護首藤四郎に敗れ,鈴鹿山において自害した(《源平盛衰記》)と伝え,《玉葉》文治2年7月25日条に義盛が梟首(きようしゆ)されたよしが見える。
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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「伊勢三郎」の解説

伊勢三郎
(通称)
いせさぶろう

歌舞伎浄瑠璃外題
元の外題
莩源氏陸奥日記
初演
明治19.12(東京新富座)

伊勢三郎
いせさぶろう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
明治20.4(東京・井上馨外務卿邸)

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