源義経の股肱(ここう)の郎等。名は義盛。俗に義経四天王の一人。《玉葉》《愚管抄》《吾妻鏡》にその名が見える。《平家物語》などによれば,源平合戦に義経に従い,志度で敵将田内左衛門の率いる3000余騎を無血で武装解除させ,壇ノ浦で平宗盛らを生け捕るなど活躍した。伊勢国が生国とも父の生国とも伝え,父は二見の住で大神宮神主のかんらひ義連とも,伊勢の河島二郎盛俊(魚名流)とも伝える。もと,鈴鹿山の山賊とも,上野国で山賊を生業としたとも伝え,その戦法や《義経記》に描く風貌に悪党的なところがうかがえる。鈴鹿山で伯母聟与権守,または伊勢守景綱を殺し,上野国に流されたなどとも,日光育ちの児(ちご)とも伝え,義経との邂逅(かいこう)は同国松井田(荒蒔郷,板鼻などとも)でのこととされる。のち,伊勢に帰り守護首藤四郎に敗れ,鈴鹿山において自害した(《源平盛衰記》)と伝え,《玉葉》文治2年7月25日条に義盛が梟首(きようしゆ)されたよしが見える。
執筆者:山本 吉左右
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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