内田忠蔵(読み)うちだ・ちゅうぞう

朝日日本歴史人物事典 「内田忠蔵」の解説

内田忠蔵

生年生没年不詳
江戸後期の名古屋の富商。先祖尾張国(愛知県)知多郡内海城主佐治豊前守遠利と伝えられている。織田信長・信孝に仕えたが,信孝死後農民となり名を内田庄治と改めた。山野開墾の功により数代庄屋を勤めたが一時零落する。享保年間(1716~36),忠蔵のときに名古屋に出て納屋町に住む。米屋を営み内海屋と称した。成功して富を築き,その子忠治,孫忠蔵の代に御用商人に取り立てられた。天保11(1840)年の名古屋長者番付では東の大関に位置し,名古屋第一の富商となる。御用商人として尾張藩財政に多大の貢献をしたが,幕末に至り衰退した。<参考文献>『名古屋市史』地理編,林董一『名古屋商人史』

(浦長瀬隆)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内田忠蔵」の解説

内田忠蔵 うちだ-ちゅうぞう

?-? 江戸時代中期の豪商
家は尾張(おわり)内海(愛知県南知多町)で代々庄屋をつとめる。享保(きょうほう)年間(1716-36)名古屋で米穀店をひらき成功。子孫名古屋藩の財政に貢献し,名字帯刀をゆるされる。幕末になって家運は衰退した。屋号は内海屋。

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