前原市(読み)マエバルシ

デジタル大辞泉 「前原市」の意味・読み・例文・類語

まえばる‐し〔まへばる‐〕【前原市】

前原

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「前原市」の解説

前原市
まえばるし

面積:一〇四・五〇平方キロ

県の西端近くに位置し、東は福岡市、西は糸島いとしま二丈にじよう町、北は同郡志摩しま町、南は佐賀県佐賀郡富士ふじ町に接する。北部に糸島平野が広がり、雷山らいざん川・瑞梅寺ずいばいじ川などが北流する。西部には長野ながの川が北流する。富士町境の背振せふり山地に井原いわら山・雷山・羽金はがね山、福岡市境に高祖たかす山・日向ひなた峠などがある。北部を東西にJR筑肥ちくひ線、国道二〇二号、同四九七号(福岡前原道路)が通り、南部には東西に主要地方道大野城―二丈線が通る。南北に通る主要地方道としては東部の福岡―早良さわら―大野城線、西部の前原―富士線がある。近世には北部が志摩郡、中南部が怡土いと郡に属した。

〔原始・古代〕

考古遺跡の記述は前原市のほか、糸島郡志摩町・二丈町も含んだ糸島地方を対象とする。この地域は玄界灘に竜首が突き出たような糸島半島と、怡土地域からなる。両地域は古代において半島基部の東西から内側に大きく入り込んだ内湾によって分割され、わずかに中央部に延びる陸橋状地形により接していた。縄文時代には糸島半島に天神山てんじんやま貝塚・新町しんまち遺跡(志摩町)など前期からの遺跡が認められ、漁労活動の痕跡をとどめる集落遺跡が点在する。怡土地域には長野宮ながのみやまえ遺跡、三雲みくも・井原遺跡群、上深江小西かみふかえこにし遺跡・広田ひろた遺跡(二丈町)など山際の微高地にも集落遺跡が点在する。

弥生時代―古墳時代の集落をみると、怡土地域西部の深江平野では早期の集落として上深江小西遺跡から竪穴住居跡・掘立柱建物跡群が発見されており、この後、海岸沿いの深江井牟田ふかえいむた遺跡(二丈町)と内陸部の石崎いしざき遺跡群(同上)を中心に集落が展開している。長野川水系の集落遺跡としては、下流から加布里かふり神在横畠かみありよこばたけひがしほん飯原いいばるで遺跡群が確認されている。弥生早期・前期の遺跡には長野宮ノ前遺跡がある。東遺跡群は西岸段丘上に集落が点在し、これらを囲む低丘陵上に墳墓群が分布する。東二塚ひがしふたづか遺跡では弥生終末期の甕棺から多量の水銀朱とともにガラス釧・管玉・丸玉が出土した。雷山川流域では前原西町まえばるにしまち上町向原かんまちむかえばる篠原しのわら上鑵子じようかんす有田ありた蔵持くらもち三坂みさか高上たかうえで弥生時代の遺跡群が確認されている。上町向原遺跡は大規模な甕棺墓群で、細形銅剣が出土し、後期の箱式石棺墓からは全長一二〇センチの素環頭大刀が出土した。雷山川河口の旧海岸線に面した志登しと浦志うらしうるう地区にも集落遺跡が密集する。昭和六一年(一九八六)から平成二年(一九九〇)にかけて調査された志登遺跡群は弥生時代から中世に続く集落遺跡で、第三次調査地点では弥生―古墳時代の掘立柱建物跡群、中九州系土器・韓式土器などが出土した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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