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奥平昌成 おくだいら まさしげ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

奥平昌成 おくだいら-まさしげ

1694-1746 江戸時代前期-中期の大名。
元禄(げんろく)7年11月6日生まれ。奥平昌章の次男。元禄8年2歳で下野(しもつけ)宇都宮藩主となる。丹後(京都府)宮津藩主をへて,享保(きょうほう)2年豊前(ぶぜん)中津藩(大分県)藩主奥平家初代。10万石。藩札(享保札)の発行,倹約令の発布などをおこなった。延享3年11月14日死去。53歳。幼名は熊太郎。初名は昌春。

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世界大百科事典内の奥平昌成の言及

【中津藩】より

…32年(寛永9)小笠原長次が上毛,下毛,宇佐3郡,8万石で入部し,98年(元禄11)からは4万石に減封。1717年(享保2)奥平昌成が入封して以後,昌敦,昌鹿,昌男,昌高,昌暢,昌猷,昌服,昌邁と9代150年余にわたって支配した。領地は豊前国上毛,下毛,宇佐3郡で6万2000石余,筑前国怡土(いと)郡のうちで1万8000石弱,備後国安那,神石(じんせき),甲怒(こうぬ)3郡のうち2万石余と,計10万石に分かれており,三御領と称していた。…

【備後国】より

…1853年(嘉永6)には,老中として幕政に貢献した正弘に,幕府備後領のうちから1万石が加増されている。さらに1717年丹後国宮津から豊前国中津へ転じた奥平昌成(まさしげ)に,幕府備後領から2万石が与えられて中津藩備後領が成立し,神石郡小畠村に代官役所を設け,代々村田氏を名のる地元取立ての代官を任命した。このため,幕府備後領は2万石弱になったので,上下代官所を石見国大森代官所の出張陣屋に切り換えられた。…

※「奥平昌成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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