太田垣士郎
おおたがきしろう
(1894―1964)
実業家。兵庫県出身。1920年(大正9)京都帝国大学卒業後、日本信託銀行に入る。25年阪神急行電鉄(現阪急電鉄)に転じ、小林一三(いちぞう)の指導を受け、46年(昭和21)社長に就任。51年関西電力の社長となり、59年会長に就任した。電源開発に努力し、黒部ダムを建設。関西財界に重きをなした。
[前田和利]
『太田垣士郎氏追懐録編纂委員会編『太田垣士郎氏の追憶』(1966)』
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太田垣士郎 おおたがき-しろう
1894-1964 昭和時代の経営者。
明治27年2月1日生まれ。日本信託銀行をへて,大正14年阪神急行電鉄(現阪急電鉄)に入社。昭和21年に社長。26年関西電力社長となり黒四ダムを完成させた。関西経営者協会会長,関西経済連合会会長などをつとめた。昭和39年3月16日死去。70歳。兵庫県出身。京都帝大卒。
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