松平忠雅(読み)まつだいら ただまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松平忠雅」の解説

松平忠雅 まつだいら-ただまさ

1683-1746 江戸時代前期-中期大名
天和(てんな)3年9月24日生まれ。松平清照(きよてる)の長男元禄(げんろく)5年祖父忠弘(ただひろ)が致仕し,10歳で出羽(でわ)山形藩主となる。備後(びんご)福山藩をへて,宝永7年伊勢(いせ)(三重県)桑名藩主松平(奥平)家初代。10万石。延享3年6月20日死去。64歳。通称左膳

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の松平忠雅の言及

【備後国】より

…このうち5万石は引き続き幕府領となり,その約4万石(備後領)を甲奴郡上下代官所支配とし,あとの約1万石(備中領)を小田郡笠岡代官所の支配下においた。また残る10万石には,1700年に出羽国山形から松平忠雅が入封し,福山藩を継承した。忠雅は10年後の1710年(宝永7)伊勢国桑名に転じ,あとに下野国宇都宮から阿部正邦が入封した。…

※「松平忠雅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android