柳酒(読み)やなぎざけ

改訂新版 世界大百科事典 「柳酒」の意味・わかりやすい解説

柳酒 (やなぎざけ)

柳の酒ともいわれた。室町時代初期から江戸時代にかけて京都産の名酒の代表格とたたえられ,〈松のさかや(酒屋)や梅つぼ(梅壺)の,柳の酒こそすぐれたれ〉(狂言《餅酒(もちさけ)》)と謡われた酒で,貴紳の贈答品としても珍重された。いわゆる〈すみざけ(清酒)〉の好例とみられ,値段も他の良質酒の2倍に近かった。たんに〈柳〉とだけ呼ばれることが多かったが,この名は醸造元の屋号でもあり,樽材に柳の木を用いたのにもよるらしい。名声のために文明年間(1469-87)には〈柳〉の名を盗用する業者も出現したので,屋号を〈大柳(おおやなぎ)(大柳酒屋)〉と称し,樽に六曜(六星)紋を付した。これが酒の銘柄のさきがけとなった。醸造元は姓を中興(なかおき)といい,応永33年(1426)の《酒屋名簿》に現れる四郎衛門定吉(しろうえもんさだよし)を初見とするが,以降,室町全期をつうじて京都町衆の中でも屈指の豪商として名をはせた。店舗・屋敷は,京都下京五条坊門(仏光寺通)西洞院南西頰(つら)にあり,禁裏・仙洞(せんとう)御所や室町将軍家に〈美酒〉を納め,また幕府には膨大な額の酒屋役(さかややく)(酒造業者の税)を納付した。歴代当主・一族が熱烈な法華信徒で,京都の法華宗寺院の創・再建に尽力したことも知られている。江戸時代にも名酒〈柳〉の誉れは高かったが,中興家との関係はかならずしも明瞭ではなく,江戸時代中期の《俚言集覧(りげんしゆうらん)》には〈万里小路(までのこうじ)に柳屋とて名酒を造る者,名は八田某と云(いう)といへり〉とみえているのが注意される。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報