中世において酒屋に課された営業税。京都をはじめとする都市の酒屋に税を課すことは,鎌倉時代に朝廷ではたびたび論議された。しかし京中の酒屋が山門支配下にあるものが多いことから実現に至らず,1347年(正平2・貞和3)に新日吉社造営料として臨時課役の初見を見る。恒例課役としては,貞治年中(1362-68)造酒正(みきのかみ)申請の酒麴売課役が認められ,2万疋(200貫)が朝廷に進納される約束となっていた。室町幕府は,1393年(明徳4)に,〈洛中辺土散在〉一律に酒屋土倉役を賦課した。これには造酒正の酒麴役のみを例外として認め,諸本所の神人・寄人などの課役免除の特権は否定した。これは酒壺別にかかる生産営業税で,酒壺別100文ではなかったかと考えられる。課税額の判明する酒屋の毎月平均納税額1貫500文,酒屋数を300とし,1ヵ月450貫,1ヵ年合計5400貫の幕府収入を計算できる。そのほかに臨時課役としての酒屋役があった。例えば後円融院即位に際しては酒壺別200文を徴されている。地方の酒造地には,幕府は臨時課役をかけている。1457年(長禄1),造内裏用途として壺別1貫文をかけたようで,大和の名酒生産地,菩提山寺に300貫,中川寺200貫が課されている。幕府にならって,荘園領主,諸大名も酒屋役を徴した。前述の菩提山寺の本寺大乗院では57年,毎年130貫の約定が成立し,その年は皆納したが,それ以後は完納されてはいない。大名では,今川氏が御用商人松木に〈蔵役酒役幷諸商売之役〉を免除しており,その他の酒屋には賦課していたことがわかる。
以上は,酒壺別という生産高にかかる営業税であるが,〈請酒(うけざけ)〉という小売が盛んになるにしたがい,幕府はそれにも課税し,戦国末期には京都に地方名酒が流入したので,それにも酒屋役を課している。
→壺銭
執筆者:脇田 晴子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
酒屋に賦課された課役。中世京都では三つの課役が知られる。最も有名なのは室町幕府が1393年(明徳4)以降、月役として賦課した酒屋役で、酒屋1軒に対し平均1貫500文宛、酒壺ごとに賦課された。これによって、それまで酒屋の多くが権門(けんもん)寺社の神人(じにん)・寄人(よりうど)などとして保持していた特権は失われることとなった。他の二つは朝廷が賦課した酒麹(さけこうじ)役と山門(延暦寺(えんりゃくじ))が賦課した酒麹役上分銭(じょうぶんせん)である。前者は造酒正(さけのかみ)中原(押小路(おしこうじ))家が本司(ほんし)分、広橋家が朝要(ちょうよう)分を納入させたものである。酒麹役上分銭は、1444年(文安元)以降に麹の製造をめぐって北野西京(にしのきょう)神人との訴訟の結果、山門に納入されることとなった。
[河内将芳]
『小野晃嗣著『日本産業発達史の研究』(1981・法政大学出版局)』▽『河内将芳著『中世京都の民衆と社会』(2000・思文閣出版)』
室町幕府が財政を支えるためおもに京都・奈良の本酒屋である醸造酒屋に課した税。1322年(元亨2)後醍醐天皇が従来の酒屋への各所からの課役を,造酒正(さけのかみ)のもと徴収を一本化しようとした。その後,室町幕府は93年(明徳4)の「洛中辺土散在土倉並酒屋役条々」で,造酒正の酒麹(しゅきく)役以外の寺社などの本所の特権を否定し,酒屋役が確立。酒壺別に課され,毎月幕府に納入された。別に臨時に課されることもあったが,他の課役は免除されている。徴収は納銭方一衆が行った。
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