臼杵惟隆(読み)うすき・これたか

朝日日本歴史人物事典 「臼杵惟隆」の解説

臼杵惟隆

生年生没年不詳
平安末期の豊後国の武士。惟茂(用)の子。緒方惟栄の兄。元暦1(1184)年1月に源頼朝の弟範頼は豊後国住人臼杵二郎惟隆,同弟緒方三郎惟栄に九州渡海の船の調達を命じ,彼らは82艘の船を献じている。しかし,同年7月に弟緒方惟栄らと共に宇佐宮に乱入した罪を問われ,いったん文治1(1185)年10月に流罪が決定するが,源義経の九州下向を援助することを後白河上皇に約束し特赦された。しかし義経の九州先導に失敗,弟緒方惟栄,佐賀惟憲らと共に捕まり,配流された。なお,有名な臼杵の磨崖仏は,惟隆とその父の代を中心に造立されていったと推定されている。

(飯沼賢司)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「臼杵惟隆」の解説

臼杵惟隆 うすき-これたか

?-? 平安時代後期の武将
豊後(ぶんご)(大分県)臼杵荘の荘司。源頼朝の挙兵に応じて,寿永2年(1183)弟の緒方惟義(これよし)らと大宰府をせめるなど,九州の平家方を追討。平家滅亡後惟義とともに,頼朝と不和となった源義経を九州にのがれさせようとして失敗し,流罪となった。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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