改訂新版 世界大百科事典 「緒方惟義」の意味・わかりやすい解説
緒方惟義 (おがたこれよし)
平安後期の武将。生没年不詳。惟栄,惟能とも書く。豊後大野郡の郡領大神(おおが)氏の子孫で同郡緒方荘の荘司。平氏の大宰府掌握後,平重盛と主従関係を結んだが,源頼朝挙兵後は,付近の臼杵氏,長野氏らと平氏に反して豊後国目代を追放。以後,中北九州における反平氏勢力の中核となる。1183年(寿永2),豊後国守藤原頼輔から平氏追討の院宣と国宣を受け,平氏を大宰府から追放したが,宇佐宮焼打事件で遠流。
→緒方氏
執筆者:山口 隼正 《平家物語》巻八〈緒環(小手巻)(おだまき)〉によると,惟義の先祖は,豊後と日向の国境,優婆(姥)岳の蛇神が里の女に通って生ませた子で大太(だいた)といわれ,夏も冬も手足に胝(あかがり)(ひび,あかぎれ)が絶えなかったので胝大太と呼ばれたとある。胝が蛇のうろこ状の肌を連想させるところからの命名であろう。惟義はその大太から5代の孫にあたり,《源平盛衰記》には〈蛇の子の末を継ぐべき験にやありけん,後に身に蛇の尾の形と鱗の有りければ,尾形三郎と云〉と記している。惟義の先祖にかかわる伝承は,《古事記》崇神天皇の条にある,大和三輪山の神,大物主大神が,活玉依毘売(いくたまよりびめ)に通って意富多多泥古(おおたたねこ)命を設けた,いわゆる三輪山伝説(蛇神婚姻譚)と同型で,緒方氏の祖が大神(おおみわ)(大三輪)氏より出たところから,在地の豪族の伝承として再編されたものであろう。
執筆者:岩崎 武夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報