藍場川(読み)あいばがわ

日本歴史地名大系 「藍場川」の解説

藍場川
あいばがわ

大溝おおみぞともよばれ、松本まつもと川と新堀しんぼり川を結ぶ。全長約二・五キロ。

阿武あぶ川が松本川と橋本はしもと川に分流する付近のくちから川島かわしま北西に流れ途中で西に変え橋本町・江向えむかいを経て水車みずぐるま筋の藍玉あいだま座跡近くで北行し新堀川に注ぐ。田畑畦畔の方向と水路の方向が一致することから、古くは条里制の灌漑用水路と思われ、慶安五年(一六五二)城下町絵図は樋ノ口から藍玉座の北までの水路を「井手溝」と記す。城下建設とともに「火災ノ節水ノ手ノ為次ニハ河上船共自由に通路セハ諸人ノ為ニモ可成トノ思召ニテ」(遺徳談林、毛利十一代史)、享保二年(一七一七)まず江向付近(毛利十一代史)、次いで元文四年(一七三九)には川島から石屋いしや町に至る大溝全体の開削が竣工して新堀川と結ばれたといわれる(萩古実未定之覚、山口県地誌稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の藍場川の言及

【萩[市]】より

…町数は1694年(元禄7)に萩城下本町41,浜崎13であったが(《元禄御国目付記》),1716年(享保1)城下本町で増加して合計58町となり(《巡見御目付集》),以後幕末まで変動はなかった。たびたび洪水に見舞われたため,中央部に1687年(貞享4)新堀川,1739年(元文4)藍場川を開削し,松本川下流に1855年(安政2)姥倉運河を開通させて排水を行い,灌漑や舟運に利用した。1863年(文久3)藩庁が山口に移転したため,萩は城下町の機能を失い,経済的にも大きな打撃を受けた。…

※「藍場川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」