台所(読み)だいどころ

精選版 日本国語大辞典 「台所」の意味・読み・例文・類語

だい‐どころ【台所】

〘名〙
① 台盤所の略。また、家の中の一部で、煮たきなど、食物の調理や配膳に使用する部屋。炊事場。勝手。くりや。厨房(ちゅうぼう)。庖厨(ほうちゅう)
※吾妻鏡‐建仁三年(1203)九月六日「六郎者於台所火自殺」
※浮世草子・好色一代男(1682)二「台所(タイトコロ)には白鴈(はくがん)の胴がら、(ふぐしる)の跡」
② (①はその家のまかないをする所であるところから) 金銭のやりくり。家計のきりもり。会計。経済。
※評判記・色道大鏡(1678)四「台所(タイトコロ)さばきのさときは、女郎にしてうれしからねど」
[語誌](1)「台盤所」は平安時代からあったが、「台所」と略して呼ぶようになるのは、中世以降かと思われる。当初、内裏や仙洞に加え、摂関家にあって女房などが詰めていて飲食する部屋だったのが、中世になると、武家の間にも広まり、広く料理する場所を指すようになって、一般化した。
(2)近世以降は、庶民の間にも浸透し、②のように、会計・経済などの派生義も生じ、近代以降は、類義語の「厨(くりや)」「勝手(かって)」を退けて定着するにいたった。
(3)一方、「台盤所」に敬称の「御」を付けると人を表わし、そこを統括する人、すなわち貴人の奥方を指したが、それが略された「御台所(みだいどころ)」「御台(みだい)」という語も中世以降に生まれた。

だい‐どこ【台所】

〘名〙 「だいどころ(台所)」の変化した語。
※俳諧・八番日記‐文政四年(1821)一一月「台所の爺に歯用勝れけり」
西洋道中膝栗毛(1870‐76)〈仮名垣魯文〉二「むかふの台所(ダイドコ)で牛を煮てゐる黒夷(くろんぼ)はすてきに黒いぜ」

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デジタル大辞泉 「台所」の意味・読み・例文・類語

だい‐どころ【台所】

家の中で食物の調理や炊事をする場所。くりや。勝手。炊事場。だいどこ。
会社・団体などの内部で、金銭の出し入れをする所。また、金銭上のやりくり。「会社の台所を預かる」「台所は火の車だ」
[補説]書名別項。→台所
[類語](1キッチン勝手厨房ダイニングキッチンくりや/(2経済やりくり収支家計内証勝手向き手許てもと

だいどころ【台所】[書名]

坂上弘短編小説。平成9年(1997)、第24回川端康成文学賞を受賞。同作を表題作とする小説集は同年刊行で、「カラの海」「待つということ」など全9作品を収録。

だい‐どこ【台所】

だいどころ」の音変化。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「台所」の意味・わかりやすい解説

台所
だいどころ

住宅などにおける炊事のための場所。厨房(ちゅうぼう)、厨(くりや)、勝手(かって)ともいう。また、寺院では庫裡(くり)、神社では忌火屋殿(いみびやどの)などの呼び名がある。

[平井 聖]

歴史

縄文時代の竪穴(たてあな)住居では、住居の中で火を使った場所としては、中央部の炉の跡しか残っていない。竪穴住居で囲まれた広場に火を使った跡がある場合があり、共同で生活していたとすれば、この火で共同の炊事をしていたのではないかと考えられる。もちろん、それぞれの竪穴住居の中にあった炉においても、炊事をしなかったわけではなかろう。

 弥生(やよい)時代の竪穴住居では、初めは縄文時代の延長であったが、稲を栽培して米を常食にするようになると、甑(こしき)などの米を蒸す道具がみつかっているところから、竪穴住居の中の炉に甑などをかけて炊事をするようになったと考えられる。時代が下るにしたがって、竪穴住居の中央付近にある炉のほかに、奥の壁に接してかまどを設ける住居址(し)が発見されるようになり、かまどの周囲からさまざまな種類の煮炊きに使う土器や、皿などの食べるときに使う土器などが発見される例がみられるようになる。

 中国大陸の考古学的遺物では、台所やかまどをかたどった明器(めいき)がいろいろ発掘されているが、日本の場合はかまどをかたどった埴輪(はにわ)が発見された遺跡は多くはない。

 古い習慣が伝承されている例には、宮中における大嘗会(だいじょうえ)がある。大嘗会のための建物の中には、台所として悠紀(ゆき)内院・主基(すき)内院それぞれに大炊屋(おおいや)や御贄殿(おにえどの)があり、外院にも料理屋・大炊屋があった。内院の建物は、いずれも黒木の柱に茅葺(かやぶ)き、柴蔀(しばしとみ)の壁で構成されていた。

 神社の例には、伊勢(いせ)神宮に、神前に捧(ささ)げる神饌(しんせん)を調理する古くからのしきたりが伝わっている。いつごろからの習慣か明らかでないが、神前に供える食事を調える忌火屋殿あるいは御饌炊殿(みけいどの)がある。同様な施設が、1612年(慶長17)に再建された建物ではあるが、岡山県の吉備津(きびつ)神社にかまどを備える御釜殿が残っている。

 宮殿では、平城宮において大宴会が催されたことが、廃棄されていたかわらけなどの無数の食器によって明らかにされている。したがって、それだけ多人数の料理を調えるための台所があったはずであるが、いままでのところでは内裏(だいり)の中にもそれらしき遺構は発見されていない。このことは続く平安宮でも同じで、江戸時代の裏松固禅(うらまつこぜん)の内裏などの復原図を見ても、台所の実態どころか台所の位置さえはっきりしていない。

 同じことが、平安時代の貴族住宅である寝殿造においてもいえる。寝殿造の場合にも、これまでに明らかにされているのは表向きの部分のみで、奥のほうや裏になる部分はまったくわかっていない。さいわい、寝殿造の格式の高い大規模な例である東三条殿(ひがしさんじょうでん)で大饗(たいきょう)が行われたときのようすが、『年中行事絵巻』に描かれている。この場合には、寝殿の前の南庭に幄舎(あくしゃ)を建て、その中の机の上にまな板などを備えて調理をしていたようすがわかる。

 中世の初めの地方武士の館(やかた)は、『法然上人(ほうねんしょうにん)絵伝』や『一遍上人絵伝』などに描かれていて、それぞれ屋敷の中の一棟が台所であったことが、屋根の棟の上につくられた腰屋根の煙出(けむだ)しによってわかる。また、鎌倉時代から室町時代に描かれた絵巻のなかには、台所の外部あるいは内部を描いているものがある。たとえば、『慕帰絵詞(ぼきえことば)』はその一例で、かまどを備えた土間の部分と、いろりのある板床(いたゆか)の張られた部分とからなっていたことが明らかになる。『慕帰絵詞』のほかにも『福富草紙』『粉河寺(こかわでら)縁起絵巻』などに、台所の光景が描かれている。

 室町時代の京都を描いた『洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)』(旧三条本)や戦国時代の上杉本にはたくさんの屋敷や町家が描かれているが、そのなかには台所を詳しく描いたものはなく、武家などの屋敷では外形から台所であると推察できる程度であり、町家などに台所で働くようすを描いた家がみられる程度である。

 中世につくられた建築指図(さしず)には、相国(しょうこく)寺と鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)のものがあり、そのなかの相国寺蔵の『普広院旧基封境絵図』には、かまどを備える台所に相当する建物の平面が描かれているが詳細は明らかでない。

 近世に入ると、『洛中洛外図屏風』(東京国立博物館本)や池田本などが、徳川家康によって築かれた二条城に台所を描き、台所で働く人々の姿を生き生きと描写している。台所の土間部分にはかまどが描かれ、板床を張った部分では男性がまな板の上で魚をしきたりにのっとって調理しているさまを描いている。また、この場面では、台所の外につるべ式の井戸が描かれている。

 絵巻物においても、『酒飯論』のように食事のことを扱ったものをはじめ、台所の状況を描いた場面がしばしばみられるようになる。また、浮世絵にも、台所の場面が題材になっているものがあり、武家から庶民の裏長屋に至るさまざまな階層の住居における台所のようすを知ることができるようになる。

 近世になると、台所の遺構もみられるようになる。武家屋敷では幕府の京都における館であった二条城に、一組の台所と清所(きよどころ)が残っている。台所は土間と板敷きの部分からなり、かつて土間部分にあったかまどは現在失われている。清所は、いろりを囲む平面で、屋根の平側を一部分切り上げて煙出しとしている。古図によれば、台所に接する中庭には、井戸を中心にして簀子(すのこ)縁が敷かれていたが、周辺の建物とともにまったく取り払われている。諸大名の屋敷における台所の遺構は、まったく伝わっていない。しかし、江戸に構えた屋敷や国元の屋敷の指図が数多く残っているので、それらによると、基本的には二条城の場合と変わらず、台所の周囲には関係する係の詰め所や魚・みそ・塩などの蔵などが建ち並んでいた。中・下級武士の住まいでは、台所は原則として板の間と下流しで構成されていた。幕末の中・下級武家屋敷は全国の城下町に数多くみられるが、台所は明治以降の改造が甚だしく、江戸時代のようすがうかがえる遺構はみられない。

 京都御所の台所も、基本的には二条城の台所と違いはない。江戸時代の初期から幕末に至る8回の造営についてすべて指図が残されているうえに、仕様書や、発注のため炉などの大きさなどを記した文書もあって復原的にみることができる。

 寺院の台所は、京都東山の妙法院の庫裡をはじめ、禅宗寺院の大徳寺庫裡、東福寺竜吟庵(あん)庫裡など大規模な台所の遺構が少なくない。

 民家では、農家と町家、あるいは地域的な違いがみられるが、基本的には、かまど・流しが設けられた土間と、いろりのある板敷きとからなっている。町家では、江戸と上方(かみがた)とを対比して、江戸は奥に土間をもち、板敷きからかまどを焚(た)くのに対して、上方では表から奥に通ずる通り庭に流しやかまどを設けるのが特徴であるといわれている。

 明治維新とともに、台所も洋風化が始まる。早くから、寒い北側にあった台所を働きやすい南側に移すことが主張され、さらに、水道・ガス・電気の普及が変化に拍車をかけることになる。それまで座って行っていた調理や流しでの作業が立って行われるようになった。台所で使う電気冷蔵庫、換気扇、ステンレス流しなどの機器やシステムキッチンの開発によって戦後の台所の改革は目覚ましく、それまでの隠れた存在であった台所が表の部分に昇格することになった。

[平井 聖]

ヨーロッパ

古代オリエントでは、発掘された紀元前4400年ころの住居において、かまどなどを備えた台所の存在が明らかにされている。古代ローマ時代のポンペイ遺跡では、数多くの住宅遺構が発見されたが、台所ではかまどなどの施設だけでなく、油などを入れていた壺(つぼ)やパンあるいは穀物、果物の種までみつかっている。絵画などによって台所や炊事のようすを知ることもできる。中世のヨーロッパのマナ・ハウスでは、2階中央のホールに接して台所がつくられた。19世紀の宮殿では、大宴会のために大規模な台所がつくられた。20世紀に入って、電気やガスが普及するとともに台所の設備が近代化され、欧米において機能的な台所へ向かって改良が進むことになる。

[平井 聖]

現代の台所

台所を、家族のだれもが気持ちよく、楽しく過ごせる場とするには、いろいろな設備がセットされ、細やかな配慮がなされなければならない。まず、台所は、衛生的で安全であることが求められる。清潔に保ちやすく、耐水性、耐火性、耐油性に富み、汚れは目だつが、掃除のしやすい建築材料を用いたほうがよい。また、包丁などの置き場所、ガスレンジ周りの耐火性、給湯設備・電気設備用の配線などの安全性が確保される必要がある。次に、働きやすい台所でなければならない。台所作業が円滑に行われるよう、設備がぐあいよく配置されていることはもちろんだが、炊事以外の家事労働(たとえば、洗濯、アイロンかけ、家計簿つけ、裁縫など)の場が設けてあれば、家事が合理的にこなせるし、家事労働の軽減に役だつので、望ましい。

[中村 仁]

形式

台所の位置は、住宅全体の間取り、住生活様式、給排水やその他の設備との関係からおのずと決まってくるが、食事をつくって食べるという一連の行為から、食堂との関係がもっとも密接である。台所の形式は、食堂とのつながり方によって、オープン、セミオープン、クローズドの三つに分けられる。

 オープンタイプは、住宅の延べ床面積が大きくない場合に多く、台所と食堂が一体、もしくはまったく仕切りのない形で接続されたもの。わが国では、第二次世界大戦後、女性の社会的地位の向上により、働きやすさを第一に考えたダイニングキッチン(略して「DK」という)が導入されたが、これは、オープンタイプの典型である。限られた床面積を合理的に使え、しかも、台所から食堂へのサービスが簡便だという利点がある反面、落ち着いた環境で食事ができないというマイナス面がある。また、客を招いた場合などは、サービスが客からすべて見えてしまうので、非常にやりにくい。したがって、オープンタイプであっても、食堂から台所がまる見えになるような配置は避けたほうがよい。これに、居間の機能を加えたのが、リビングキッチン(略して「LK」「LDK」という)である。

 セミオープンタイプは、台所と食堂の境をカウンターやハッチなどでいちおう区画し、視覚的、機能的にはオープンな状態にしたもの。中間のカウンターを食堂側の食卓として利用すれば、延べ床面積もそれほど必要としない。また、オープンタイプでは問題となる、食事をつくる空間と食べる空間の分離も、比較的うまく処理できる。

 クローズドタイプは、台所が一部屋として独立しているもの。閉鎖的なため、オープン、セミオープンに比べ、スペースの融通性はないが、客の目を気にしたり、整理整頓(せいとん)に煩わされたりすることがない。十分な床面積を確保できるのであれば、一般的には、このタイプがもっとも使いやすい。

[中村 仁]

基本設備

食物を調理するための作業台は、ガス台、調理台、流しからなり、これに冷蔵庫が加わったものが標準的な台所である。配膳(はいぜん)台は、あれば便利だが、調理台で代用できるので、かならずしも必要ではない。

 調理器具や食器類を収納するため、作業台の上部には吊(つり)戸棚、作業台の下にはキャビネットを設けるのが普通である。これら作業台、吊戸棚、ときにはオーブンなどをセットにしたキッチンセットが、1958年(昭和33)日本住宅公団(現、都市再生機構)の住宅に初めて採用されて以来、一般家庭に普及し、台所のシステム化が急速に進んだ。

 作業台での仕事の流れが、右勝手になるか左勝手になるかは、勝手口や食堂などとの関係で決まってくるが、作業台は、冷蔵庫から取り出した食品を流しで洗い、調理台で切ってガス台で煮炊きし、配膳台で盛り付けし、食卓に運ぶといった調理の手順に従って配置されているのがもっとも望ましい。作業台の配列の仕方によって、一列型、二列型、L字型、U字型、アイランド型の区別がある。

・一列型 作業台を一つの壁面に並べたタイプ。作業台全体の長さが長すぎると、作業動線が長くなり能率的でなくなるが、狭い台所では、このタイプが多い。

・二列型 作業台を二つの壁面に配置したもの。片側に流し、調理台、ガス台、反対側に冷蔵庫、準備台、配膳台というぐあいに並べる。各作業台の間が広すぎると不便である。

・L字型 二つの壁面に、鉤(かぎ)の手に作業台を配したタイプで、ダイニングキッチンに適している。一つの壁面に流しを、他の壁面にガス台を設けるのが能率的である。

・U字型 U字の底部に流しを、左と右に調理台、ガス台を配する形式。動線の短縮にはいちばん効果的だといわれている。狭い台所でも、わりあいに広い作業面を確保できる。

・アイランド型 流しやガス台などの作業台を壁面から離して、部屋の中に突出させたもの。台所から、浴室、便所、洗面所への出入口をとりたい、壁面に大きな窓をつくりたいというような場合に、やむをえずこのように配置する。

 このほか、調理に伴う煙や水蒸気を外へ出す換気扇、部屋全体および手元を照らす照明などの設備が必要である。

[中村 仁]

器具

台所では、さまざまな調理器具が使われる。冷蔵庫、冷凍庫、炊飯器、電子レンジ、湯沸かし器、電気ポット、コーヒーメーカー、トースター、ミキサー、ジューサーなどである。これらの収納や安全な使用が可能な台所でなければならない。

[中村 仁]

民俗

台所は略してダイドコという。炊事をしたり食事をしたりする場所で、地方により種々の呼称がある。ミズヤ、スイジバ、スイバン、セイジ、オカゾバ、カッテなどがその例である。近来は床上であるが、農家の場合は、土間に流しやかまど、ないしは火たき場を設ける関係で土足である。かまどのかわりにいろりを煮炊きに使い、炉辺で食事をするとなると、台所という空間は明確に限定できない。いずれにしても、あまり人に見せる場所ではないというので、家の北側や北東側に設けられる。すると、家相で北東部を鬼門(きもん)として忌むので、その方には窓をとらないから、暗く湿潤になる。そのために、これは以前から台所の改善目標の一つとされた。地方によっては防火の目的で、主屋(おもや)とは別に、あるいはこれに接して釜屋(かまや)として設置することもある。こういう構造を釜屋建てとか二棟(ふたむね)造りなどという。この場合、流しや戸棚を置き、そこを台所とし、さらに食事場を兼ねることもある。武家で主婦のことを御台所(みだいどころ)と称するのも、炊事や食事をつかさどる人という意味である。

 流れ水を洗い流しに使う地方では、水を台所に引き込み、そこを低い流し場にする。ときには床から数段降りなければならぬ低さにもなる。ミズヤなどという名称は、そんな状況から生まれたものである。台所に接し、あるいはその一部として膳部(ぜんぶ)と称する小室を設けることもある。元来は食器置き場ないし配膳の用に供する意であるが、ときには炊事場を兼ねる。いろりを戸口に近い室に設けた場合、そこをダイドコまたは茶の間と称し、流しのある裏の部屋を勝手(かって)とよぶ。この呼称は転化して、いろりがなくてもダイドコと称する地方もある。台所は農家ばかりでなく都市の住宅でも、水を使用する関係で流しを土間に置いたり、関西地方では内井戸を設けたりした。水道が普及するに及び、この風習も変わりつつある。

[竹内芳太郎]

『山口昌伴著『図説 台所道具の歴史――主役の道具たち』(1978・柴田書店)』『モリー・ハリスン著、小林祐子訳『台所の文化史』(1993・法政大学出版局)』『古島敏雄著『台所用具の近代史――生産から消費生活をみる 生活と技術の日本近代史』(1996・有斐閣)』『山口昌伴著『世界一周「台所」の旅――人類繁栄の源はキッチンにあり』(2001・角川書店)』


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改訂新版 世界大百科事典 「台所」の意味・わかりやすい解説

台所 (だいどころ)

現在は食物を調理する部屋,すなわち厨房(ちゆうぼう)を指すが,古くは,炉などの調理設備のある空間や建物の全体を,台所と呼ぶことが多かった。江戸時代の大名邸宅の台所は,大規模な別棟の建物で,厨房のほかに多くの家政用の部屋を含んでいた。民家ではいろりのある居間や,土間の奥まった部分を台所と呼んでいた例が多いが,この場合も単なる厨房ではなく,表向きの客座敷に対して,内向きの日常生活の中心となる空間であった。台所という名称は鎌倉時代の貴族住宅で用いられ始めるが,その語源は平安時代の貴族住宅に設けられた台盤所(だいばんどころ)を省略したものと考えられている。台盤所は食器などを載せる大きな脚付きの台である台盤(大盤)を置く部屋で,調理を行う厨房ではなく,配膳室に似た性格のものであった。摂関家の邸宅であった東三条殿では寝殿の北側に台盤所廊があり,内裏では清涼殿の西庇(にしびさし)に台盤所があった。また当時の貴族住宅では,配膳などの準備をする部屋に,清所(きよどころ),御厨子所(みずしどころ)という名称も使われた。現存する二条城二の丸殿舎には,土間や御膳所などを含む大規模な台所に隣接して,清所と呼ばれる建物があり,後者に料理の間が設けられている。

 江戸時代の農家や町家の多くでは,食物調製のための流し,いろり,かまど,食器棚などが,かなり離れた位置にあり,厨房と呼べる部屋は存在しなかった。このような家では切盤(きりばん)と呼ばれる大きなまな板を適当な場所に運んで調理を行った。これとよく似た状態は,中世の絵巻に描かれた台所に見られ,《松崎天神縁起》(14世紀)の銅細工師の家の台所では,いろりの脇に切盤を据えて鯉を料理しているが,流しやかまどは見えない。《春日権現験記》巻十三の台所も,いろりの脇に切盤が見えるのみである。一方,《慕帰絵詞》巻二や巻六の台所では,いろりに接して簀の子(すのこ)を床に張った流しと推定されるものが設けられており,周囲に配膳のための二階棚(厨子(ずし))が置かれ,より発達した台所形式を示している。

 民家で台所らしい調理設備の構成が発達するのは江戸時代後期の都市の町家で,土間の奥の方に,流し,水甕(みずがめ),井戸,かまど,食器棚などをまとめて設置するようになり,さらにこの部分を土間の他の部分から格子戸などで仕切ることによって,台所らしい部屋が生まれた。当時の武家住宅でもこれに似た台所の発達が見られるが,台所の大部分を板の間にした例が多い。明治前期の東京の町家では,家の背後に一部分が板の間,他は土間の小規模な台所を設け,板の間には木製の台に載せたかまどを置き,土間には流しと水甕を据えて,その前の板製の簀の子の上に立って仕事をするようにしたものが使われた。そのほか食器棚,七輪などがおもな台所設備であった。このような,板の間,土間,板簀の子を併用した台所は,昭和期の都市住宅でも多かった。一方,農家の台所は,農業労働に忙しく,また上水道が未発達なため発展が著しく遅れ,台所改善が第2次大戦後の生活改善運動の大きなテーマになった。日本の都市および農村の住宅で,土間がなく全部に床板を張り,水道,流し台,ガス台,食器棚などを備えた台所形式が広く普及し始めるのは1960年代以降。
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台所に相当する英語はキッチンkitchenで,ドイツ語キュッヘKüche,フランス語キュイジーヌcuisineなども含め語源は中世ラテン語で料理,台所を意味するcoquinaである。日本では1955年に公団住宅が生まれた際に,台所をK,板張りの部屋に炊事の設備のついたものをDK(ダイニングキッチン)と表示し,2部屋とDKを間取りとする2DKがひとつの基準とされた。DKはダイニングルーム(食堂)とキッチンの併合を意味するものであるが(英語ではkitchen-dining-room),公団住宅の場合はわずか8m2程度で,スペースの節約を目的としたものであり,テーブルを備え付けて洋式の使い方を強いた時期もあった。DKにさらにリビングルーム(居間)の機能をもたせたLDKも出現しているが,最近は台所は独立させるか,あるいは居間の中央へ積極的に組み入れるアイランド・キッチンの方向が好まれている。

台所は食事の習慣と密接に関連し,地域と時代によってさまざまであるが,ヨーロッパでもふだんの食事は台所でとることが多い。しかし,日本では食事のたびに米の飯を炊くのに対し,ヨーロッパでは古くからパンはパン職人が焼き,この点が台所の役割に差異をもたらしていると思われる。古代ローマでは,炉のある部屋が家屋の中心であり,そこで調理も食事も行われたが,しだいに台所が分離するようになり,中世末期のヨーロッパでは,都市でも農村でも独立の台所が一般的となった。16世紀ごろからは台所の道具も増えはじめ,台所も広くなったが,炉が密閉されて煙が室内にこもらなくなるのは19世紀になってからである。それまで実際に台所の現場で働いていたのは使用人であり,ようやく19世紀中ごろにアメリカのストー夫人の長姉で教育家のビーチャーCatharine Esther Beecher(1800-78)が,使用人をなくして婦人の労働力を活用することこそ肝要として家事の組織化をとなえ,船の厨房にならってコンパクトで合理的な設計の台所を発表した。20世紀になるとF.W.テーラーによる科学的作業研究の影響を受け,さらに第1次大戦以後の工業製品の普及とで台所の改善は急速に進んだ。
(かまど) →食事
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「台所」の意味・わかりやすい解説

台所
だいどころ

炊事あるいは食事をするところ。農家では一般に入口から土間に面したデイ (出居。客を応接するために出ている部屋) の奥隣に位置する。地方によっては土間の流しや水がめのあるところを含む場合もある。関東地方では土間のことをダイドコといい,ここにかまどを設け,ダイドコに接した板の間をカッテといって区別しているところもある。一般には台所は板の間で,大黒柱寄りに炉が切ってある場合が多い。いろりは生活の中心であり,ここでは煮炊きもし食事もする。日常生活の最も動きのある部分であり,その使い方や呼び名は地方によって異なっていた。現代の日本における台所は,農村,都会による差はほとんどみられなくなり,一般にステンレスないしはほうろう製の流し台,ガス台,調理台などのユニット化された厨房設備が設けられ,電気器具類が置かれている。それらは2列型,L字型,U字型,アイランド型など機能性を重視して配置され,それらの寸法は JIS規格で決められている。近年は台所の設備全体がシステムキッチンとして設計されることも多い。都市住宅における台所の位置は独立しているのが普通であったが,昭和に入ってから住宅事情,家事労働の省力化追求などの結果,食事室と一緒になったダイニングキッチンとして設計されることが多くなった。

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家とインテリアの用語がわかる辞典 「台所」の解説

だいどころ【台所】

食物を調理する部屋。◇平安時代の貴族の家で台所をさした「台盤所(だいばんどころ)」が語源とされる。「厨(くりや)」「厨房(ちゅうぼう)」「勝手」「キッチン」などともいう。

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世界大百科事典(旧版)内の台所の言及

【居間】より

…明治維新以後も農家の封建的空間構成は変わらず,さらに強調された趣がある。新興の都市住宅も,その構成基盤は農村住宅に求められたため,居住性の良い表側は接客上の体面を考慮した座敷が占め,食事やだんらんの場としてはチャノマと呼ばれる台所に隣接した狭い部屋があてられた。第2次世界大戦以後は,住宅において,家族の個人的生活が重視され,寝室の個室化が進められる一方,公団住宅の2DK,3LDKに見られるように,家族のあつまり,台所,日常の客の応対,という機能が含まれた居間中心型の間取りが主流になった。…

【住居】より

…そして事実,多くの伝統的住居において,これら三つの機能が住居平面(間取り)に表現されている。つまり家族にとっての居間でもある寝室,食事をつくりしばしばそこで食べる台所,そして住居の表側に位置し外来者を迎える接客空間が住居の基本的な構成要素になる。それ以上の空間分割による拡充はいずれも,これら3要素からの枝分かれとして解釈できる。…

【住宅】より

…寝室,子ども室,書斎,勉強室などの個人的な使用が主となる場,食事室,居間,遊戯室など家族が集まり共用する場,応接室,客間といった接客の場が居住部分にあたる。サービス部分には,便所,浴室,洗面所などの生理・衛生のための場,台所,洗濯室,家事室,機械室などの家事作業のための場がある。収納部分は納戸,押入れ,戸棚など,通路部分は玄関,ホール,勝手口,廊下,階段などである。…

【流し】より

…現在は食器や実験器具などを洗うためのステンレスや陶器などで作った箱型の設備をおもに指すが,古くは物を洗う設備や場所を広く指した。風呂場の洗い場も流しと呼ばれ,台所を〈お流し〉と呼ぶ地域もあった。民家で使われた素朴な形式の流しは,土間の一隅に,木をくりぬいた水槽を埋めたり,石で囲んだ水槽を設け,水路や(かけい)で流水を引きこむもので,山村に多く見られた。…

※「台所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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