知恵蔵 「アブドラ国王」の解説
アブドラ国王
政治姿勢は穏健かつ開明で、シャリア(イスラム法)との調整を図りながら、国際社会から批判されてきた人権問題の改善や女性の地位向上にも取り組んだ。司法制度改革を進めると共に、男女共学の「アブドラ国王科学技術大学」を設立し、11年には女性への参政権付与も発表した。しかし、公言していた女性の自動車免許解禁は果たせず、公開むち打ち刑なども継続されている。
外交はファハドの親米路線を受け継ぎながら、周辺アラブ諸国との協調を重んじる全方位外交を続けた。02年には、アラブ連盟首脳会議で、イスラエルの存続とパレスチナ国家の樹立を求める譲歩和平案(アブドラ提案)を採択させている。03年のイラク戦争には参戦しなかったが、戦後、国内外で多発した過激派によるテロ対策ではアメリカとの連携を密にさせていった。一方、スンニ派・アラブ王国の盟主としての立場も堅持し、「アラブの春」(10~11年)では、スンニ派ハリファ家のバーレーン政府から部隊派遣の要請を受け、多数派を占めるシーア派住民のデモを鎮圧した。なお、次期第7代国王には異母弟のサルマン皇太子が就任している。
(大迫秀樹 フリー編集者/2015年)
アブドラ国王(サウジアラビア)
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出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報