ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンドロニクス2世」の意味・わかりやすい解説
アンドロニクス2世
アンドロニクスにせい
Andronicus II Palaeologus
[没]1332.2.13. コンスタンチノープル
ビザンチン皇帝 (在位 1282~1328) 。父ミカエル8世の死後,即位。税制改革を行い,国庫の負担軽減をはかるため陸・海軍力を大幅に削減したが,かえってジェノバなどの国政に対する発言力を強めた。ベネチア対ジェノバ戦争 (1294~1302) では一方的にジェノバ側に立ち政策上の失敗を招いた。また小アジアの防衛線確保のためカタラニア (スペイン) のロジャー・ド・フロールの援軍を受入れ,トルコ軍を押返すことに成功した (04) が,カタラニア軍はその後独立しアテネにカタラニア公国を樹立する結果となった。内・外政の失敗は帝国の力を弱め,1328年には3度目の反乱により首都コンスタンチノープル入城を果した孫のアンドロニクス3世により退位を余儀なくされた。余生を修道士アントニウスとしておくった。治世中は帝国の衰退期に向っていたが,文化に深い理解を示し,文人の保護をはじめとして,アソスの修道院群の黄金時代を築いた。
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