ジェノバ(読み)じぇのば(英語表記)Genova

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジェノバ」の意味・わかりやすい解説

ジェノバ
じぇのば
Genova

イタリア北西部、リグリア州の州都。人口60万3560(2001国勢調査速報値)。英語名ジェノアGenoa。リグリアアペニン山脈が背後に迫るジェノバ湾の奥に位置する港湾・工業都市。1926年に19のコムーネ(市町村)が併合し、現在の大ジェノバが形成された。市の面積は238平方キロメートルで、海岸線に沿って西のボルトリから東のネルビまで33キロメートルにわたって広がり、内陸部はポルチェベラ川に沿って北のポンテデチモまで延びている。ジェノバ港は、リグリアのみならずロンバルディア州およびピエモンテ州というイタリア最大の工業地帯を後背地に有し、取り扱う貨物量の多さにおいては同国第1位(1998)の規模を誇っている。またフランスのマルセイユとともに地中海でも最大級の港となっている。同港の重要輸入品である石油は、ジェノバとその周辺で利用されるだけではなく、2本のパイプラインによって、コルテマッジョーレ(ピアチェンツァ県)に、あるいはミラノ近郊のローを経て遠くドイツにまで運ばれている。工業活動としては、製鉄(イタルシデル社)、造船(アンサルド社)、石油化学、化学、食品などの部門が盛ん。地域的にいえば、サンピエルダレーナからボルトリにかけての海岸地帯とポルチェベラ川の渓谷が、ジェノバの工業地帯となっている。他方、地域経済に占める農業の比重はごくわずかにすぎない。

 コロンブスの生地として知られ、彼の家や洗礼を受けたサント・ステーファノ教会がある。ポルチェベラ川の河口付近にある空港は、彼にちなんでクリストフォロ・コロンボ空港と名づけられている。市内には由緒ある建築物が多数あり、とりわけガリバルディ通りとバルビ通りには16~17世紀の宮殿が多く残っている。なかでもガリバルディ通りにあるポデスタ宮殿、現在美術館となっている白の宮殿と赤の宮殿、また、バルビ通りのウニベルシタ宮殿、かつての王宮バルビ・ドゥラッツォ宮殿などは有名である。そのほかにもサン・ロレンツォ大聖堂(12~14世紀)、著名なサン・ジョルジョ銀行の本部が置かれたサン・ジョルジョ宮殿(1260ころ)、国立美術館となっているスピノラ宮殿(16世紀)、サンタ・マリア・ディ・カリニャーノ教会(16世紀)などがある。温和な気候と美しい海岸線で知られる国際的観光地帯リビエラの中心地でもある。

[堺 憲一]

歴史

2世紀にローマの前線拠点として建設されたのち、ローマからマルセイユに至るアウレリア街道上の重要地点として発展した。6世紀にビザンティン帝国領、7世紀にランゴバルド王国領になった。地勢上の条件によって後背地に恵まれず、早くから海上活動に進出したが、10世紀にはイスラム海上勢力の攻撃を受け、大きな損害を被った。この時代、ジェノバはオベルテンギ公領となり、その臣下によって統治された。その家柄からスピノラ家のような有力な都市貴族が生まれた。

 10世紀末からイスラム勢力に対する反攻が始まり、11世紀にはピサと連携してサルデーニャやバレンシアへの攻撃が行われ、西地中海一円へ勢力を拡大した。さらに十字軍活動に参加したことにより、レバントへも進出した。また11世紀末~12世紀初頭にはコムーネ(自治都市)が形成され、事実上の共和国となった。西地中海ではピサと争って勝利を収め、東地中海では東方貿易覇権をめぐってベネチアと激しく争い、13、14世紀にはキオス島レスボス島、黒海沿岸などに植民地を設けた。取扱い商品は香料皮革、オリーブ油、ぶどう酒、穀物、あるいは奴隷など多種にわたった。とくに15世紀にはキオス島を基地とし、小アジアの明礬(みょうばん)(媒染剤に用いる)をヨーロッパ最大の毛織物の生産地であるフランドルへ大量に輸送した。

 しかし15世紀後半にオスマン帝国が進出すると、黒海やエーゲ海の植民地を次々に失った。ジェノバ商人は蓄積した莫大(ばくだい)な富をスペインやポルトガルに投資し、「新大陸」や大西洋岸の貿易に大きな役割を果たした。政治的にはミラノ、フランス、スペインの間で独立を維持することに努力し、17世紀にはサボイア家の介入を排除しなければならなかった。オーストリア継承戦争(1740~48)の際にはオーストリア軍に攻囲され、1768年には最後の植民地コルシカをフランスに譲渡しなければならなかった。1815年にサボイア家の支配下に入り、サルデーニャ王国の港として発達した。1861年にイタリア王国が成立すると、イタリア最大の貿易港に発展。商工業のミラノ、トリノとともにイタリアにおける産業革命の中心としての役割を果たした。

[清水廣一郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジェノバ」の意味・わかりやすい解説

ジェノバ
Genova

イタリア北西部,リグリア海に面する港湾都市。英語ではジェノア Genoa,古代名ゲヌア Genua。リグリア州の州都で,ジェノバ県の県都を兼ねる。ジェノバ湾奥,狭い海岸平野と,リグリアアペニン山脈 (→アペニン山脈 ) に続く丘陵を占める。リグリア人が建設。すでに前5世紀には商港として栄え,ローマ時代は北部の中心都市となったが,ローマの衰退とともに衰微した。しかし,10世紀に勢力を盛り返し,11世紀から自由都市としてスペイン,アフリカ沿岸,東方にも進出。強い経済力を誇り,ベネチアと地中海貿易の覇を競ったが,15世紀に再び衰退,1796年フランスに占領され,1815年ピエモンテ領となり,のちにイタリア王国に統合された。現在では地中海の中心的港の一つで,イタリア北部工業地帯,ポー川流域の穀倉地帯,アルプスを越えてスイス,オーストリア,ドイツ南部をも後背地にもつ。造船,製鉄,兵器製造,薬品,繊維,石油化学などの工業が立地。工業製品のほかオリーブ油,ワイン,マカロニ,チーズ,果物,米などを輸出し,石炭,石油,鉄などを輸入する。鉄工業も盛ん。旧市街では狭い街路や階段が特色ある景観をつくり,交通機関としてケーブルカーやエレベータも利用される。中世ロマネスク様式のサン・ロレンツォ大聖堂など歴史的建造物も多い。 16~17世紀ジェノバでは貴族たちの邸宅群パラッツィ・デイ・ロッリ (ロッリの館) が建設されるに伴い,ストラーデ・ヌオーベ (新しい道) が整備された。これらは 2006年世界遺産の文化遺産に登録された。人口 60万7906(2011推計)。

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