デジタル大辞泉 「ダレイオス」の意味・読み・例文・類語 ダレイオス(Dareios) (1世)[前558ころ~前486]古代ペルシア、アケメネス朝の王。在位、前522~前486。国内の反乱を鎮圧し、インダス川からマケドニアに至る全オリエントを支配。また、財政の整備や国道建設を行い、中央集権体制を確立してペルシア帝国の基礎をつくった。ダリウス1世。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「ダレイオス」の意味・読み・例文・類語 ダレイオス ( Dareios ) ( 一世 ) 古代ペルシア、アケメネス朝の王(在位前五二二‐前四八六)。ラテン語名ダリウス。帝国を再組織し、交通路を建設、サトラップ(太守)制を布いて中央集権体制を確立。インドに遠征し、全オリエントを支配した。ギリシアと衝突してペルシア戦争をおこしたが、マラトンの戦いで決定的な敗北をこうむった。(前五五〇頃‐前四八六) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
百科事典マイペディア 「ダレイオス」の意味・わかりやすい解説 ダレイオス[1世]【ダレイオス】 ラテン語,英語ではダリウスDarius。アケメネス朝ペルシア帝国の王(在位前522年―前486年)。〈大王〉と称される。傍系より出て王位につき,内乱を鎮圧して統一を回復,その征戦記録はビストゥンの碑文として残されている。州制を創設してサトラップ(太守)を置き,中央集権制を確立,税制・貨幣制・兵制を整備した。ペルセポリスの造営に着手し,スーサ〜サルディス間の王道を完成。ギリシア征服を企図して遠征(ペルシア戦争)は2回に及んだが,いずれも敗退した。→関連項目クセルクセス[1世]|ペルシア帝国 ダレイオス[3世]【ダレイオス】 アケメネス朝ペルシア帝国最後の王(在位前336年―前330年)。即位後宦官(かんがん)バゴアスを倒して政治を粛正したが,アレクサンドロス1世の侵入にあい,イッソス(前333年)とガウガメラ(前331年)の戦に敗れ,逃走中暗殺された。→関連項目アケメネス朝|ガウガメラの戦 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
旺文社世界史事典 三訂版 「ダレイオス」の解説 ダレイオス(1世)Dareios Ⅰ 前558ごろ〜前486アケメネス朝の英主(在位前522〜前486)。大王と呼ばれる東はインダス川河畔,西はトラキア・マケドニアを征服して,全オリエントを支配する大帝国をつくった。全国を約20州に分け,知事(サトラップ)を任命,軍道を設けて駅伝制を確立し,ペルセポリスに王宮を造営した。ペルシア戦争を起こし,ギリシア本土への侵入を企てたが,マラトンの戦いに敗れ,のち病死。典型的な専制君主であったが,人民や異民族には寛大で,産業や文化を保護した。 ダレイオス(3世)Dareios Ⅲ 前389ごろ〜前330アケメネス朝最後の王(在位前336〜前330)アレクサンドロス大王にイッソスの戦い,ついでアルベラの戦い(前331)で大敗し,家臣に暗殺され,帝国は滅亡した。 出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダレイオス」の意味・わかりやすい解説 ダレイオスだれいおす →ダリウス(1世) 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by