旺文社世界史事典 三訂版 「イリ事件」の解説
イリ事件
イリじけん
1862年甘粛 (かんしゆく) ・陝西 (せんせい) に起こったイスラーム教徒の反乱が64年に新疆地域におよぶと,65年には西方のコーカンド−ハン国からもヤクブ=ベクの率いるイスラーム教徒が侵入して,カシュガル−ハン国を樹立。その勢力拡大を恐れたロシアは,1871年イリ地方に出兵し占領した。こうした事態に対して1875年清朝は左宗棠 (さそうとう) を派遣し,イリ地方以外の新疆全域を回復した。清は1879年,国境画定を自国有利にしようとしたロシアとの間でリヴディア条約を締結したが,内容の不利からこの条約の批准を拒否した。その後,1881年イギリス・フランスの調停でこの条約を改定したイリ条約が結ばれ,イリ地方は清に返された。
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