ウィニペグストライキ(英語表記)Winnipeg General Strike

改訂新版 世界大百科事典 「ウィニペグストライキ」の意味・わかりやすい解説

ウィニペグ・ストライキ
Winnipeg General Strike

1919年5月15日から6月26日にかけて,カナダマニトバ州の州都ウィニペグで行われたストライキ発端は建築工,金属工の待遇改善であったが,全市を巻き込むゼネストに発展した背景には,第1次大戦終了に伴って増加した復員軍人の失業ロシア革命の成功に刺激された労働組合運動の高揚といった一般的要因のほかに,ウィニペグ市特有の事情も存在した。すなわち,ここは第1次大戦後のカナダの改革運動の一つの中心地であり,先鋭的な思想をもつヨーロッパ移民の流入が多かったが,一方では西部諸都市の中では開発の歴史が古く,保守的な中産階級も十分な力をもっていたことをあげることができる。連邦政府は5月22日以来ストライキに介入し解決を図ったが,6月21日には群衆警官軍隊衝突で〈血の土曜日〉の出現すらみた。後にカナダ革新運動の指導者として知られるようになるウッズワースは,このストライキの指導者の一人であった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウィニペグストライキ」の意味・わかりやすい解説

ウィニペグ・ストライキ
Winnipeg General Strike

1919年5月 15日から6月 25日,カナダ,マニトバ州の州都ウィニペグで起ったストライキ。建設および金属労働者のストライキが市全域に拡大し,1ヵ月あまりウィニペグ市の機能が麻痺した。団体交渉権を求めてたたかったのであるが,ストライキが生じた原因としては,第1次世界大戦後の復員兵の戦後経済への適応の問題,高い失業率と生活費の高騰,ロシア革命の影響,カナダにおける労働運動内部の対立抗争などがあげられる。州政府は連邦政府に支援を求め,5月 22日労相 G.ロバートソンと司法相 A.ミーエン視察に来て以来,連邦政府による懐柔策と強硬策の2面にわたる干渉が展開されたが事態は解決をみず,6月 21日には軍隊と労働者の衝突「血の土曜日」をみて,ようやく終息した。

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