ウッズワース(英語表記)Woodsworth, James Shaver

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウッズワース」の意味・わかりやすい解説

ウッズワース
Woodsworth, James Shaver

[生]1874.7.29. トロント
[没]1942.3.21. バンクーバー
カナダ政治家オックスフォード大学に学び,1900年メソジスト派の牧師となった。しかし宗教よりも社会問題にひかれ,07年聖職者を辞し,13年よりカナダ社会福祉同盟の仕事に従事した。この間に著わした2冊の書,『われらが内なる異邦人』 Strangers within Our Gate (1909) と『わが隣人』 My Neighbor (11) は,前者は北アメリカにおける移民の問題を,後者教会の社会的役割を取上げたものとして世評に高い。その後,さまざまな職につきながら社会主義的関心を高めたが,19年にはウィニペグ・ストライキを指導した。 21年労働党の一員として連邦下院に選出され,32年協同連邦党が結成された際,その党首に推された。 39年にはカナダの第2次世界大戦参戦に反対し,徹底した平和主義者であった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「ウッズワース」の意味・わかりやすい解説

ウッズワース
James Shaver Woodsworth
生没年:1874-1942

カナダの政治家。聖職者として社会福祉事業に携わるうち,後者への関心が強まり,1907年に教会と決別して移民問題を中心とする社会事業に打ち込んでいった。19年のウィニペグ・ゼネストの際には,新聞論説を通じて労働者を激励し逮捕されている。21年に政界へ登場し社会主義的傾向を強め,33年,カナダの社会主義政党である協同連邦党創設に際しては党首に推された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のウッズワースの言及

【ウィニペグ・ストライキ】より

…連邦政府は5月22日以来ストライキに介入し解決を図ったが,6月21日には群衆と警官,軍隊の衝突で〈血の土曜日〉の出現すらみた。後にカナダ革新運動の指導者として知られるようになるウッズワースは,このストライキの指導者の一人であった。【大原 祐子】。…

※「ウッズワース」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android