エアスン海峡(読み)エアスンカイキョウ(英語表記)Øresund

デジタル大辞泉 「エアスン海峡」の意味・読み・例文・類語

エアスン‐かいきょう〔‐カイケフ〕【エアスン海峡】

Øresundエーレスンド海峡デンマーク語名。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エアスン海峡」の意味・わかりやすい解説

エアスン海峡
えあすんかいきょう
Øresund

デンマークのシェラン島と南スウェーデン間の海峡バルト海カテガット海峡を結ぶ最短航路(118キロメートル)にあたり、最狭部のヘルシンゲア―ヘルシングボリ間で4キロメートル、最大幅27キロメートルを有し、最深部は54メートルである。1999年8月、エアスン海峡を橋と海底トンネルで結ぶ全長16キロメートルのエアスン・リンクが完成(2000年7月開通)、これまで海上交通のみだったデンマークとスカンジナビア半島間に4車線の自動車道路と複線軌道の鉄道が通ることになった。エアスンはデンマーク語で、スウェーデン語ではイョーレスンドÖresundである(日本ではエーレスンドと読む場合もある)。sundは海峡の意で、ドイツ語ではズントSund、英語ではサウンドThe Soundという。かつて各国の船が海峡を通過の際に海峡税Sundtoldenをデンマークに徴収されたため、ヨーロッパ各国史上にその名が登場する。

[村井誠人]

歴史

ビーキング(バイキング)時代、北欧諸王の海戦の舞台で、ヘルシングボリ付近は海賊の潜伏地であった。12~13世紀には、デンマークの歴史家サクソが「船も漕(こ)げぬ」と述べたほどニシンに恵まれていた。ニシン漁は、デンマーク領であったスコーネ(現スウェーデン)の定期市(いち)とともにデンマーク―リューベック(北ドイツ)間の貿易の基礎をなしていた。北ドイツ諸都市の進出に対抗して、デンマーク王アベルが1251年に、またポメラニアエリックが1429年に、おのおのヘルシンゲア通過の船舶に通行税を課した。さらに、1567年には積み荷にも課税したため、海峡税はデンマークの国家収入の3分の2を占めるほどであった。1645年、オランダはデンマーク王クリスティアン4世に税を減額させ、1855年にはアメリカ合衆国が通行税支払いを拒否した。その後コペンハーゲンで開かれた会議で、大・小ベルト海峡の通行税とともに海峡税は廃止された(1857)。このとき、エアスン条約により、補償額6700万クローネがデンマークに支払われた。海峡税記録は、国際海運史、北欧経済史の重要な史料となっている。

[荒川明久]

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