クリスティアン(読み)くりすてぃあん(その他表記)Christian Ⅳ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クリスティアン」の意味・わかりやすい解説

クリスティアン(4世)
くりすてぃあん
Christian Ⅳ
(1577―1648)

デンマークノルウェー王(在位1588~1648)。フレデリク2世の子。1596年まで国務院の主導下にあったが、その後は王権拡大に努め、東インド会社や繊維の独占会社を設立、ノルウェーの鉱山開発などの重商主義政策を推進し、他方農民解放を試みたが貴族の抵抗により挫折(ざせつ)。対外的にはスウェーデンとのカルマル戦争(1611~13)を皮切りに、三十年戦争の機会に乗じて北ドイツ進出を図った(1625~29)が、イギリス、フランス、オランダの支援が得られず敗走し、リューベック和議によりドイツ不介入を誓約させられた(1629)。戦費に加え、多数の華麗なルネサンス風建築物への出費からくる財政難も顧みずに、ヨーロッパへ進出したスウェーデンを牽制(けんせい)するが、かえって反撃され、ブレムセブルーBrömsebroの和議(1645)により国土の一部割譲やズンドSund(あるいはエアスンØresund)通行税免除を余儀なくされ、バルト海への支配権を失った。その多彩な才能により国民の人気を集めた。

[荒川明久]

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百科事典マイペディア 「クリスティアン」の意味・わかりやすい解説

クリスティアン[1世]【クリスティアン】

ドイツのオルデンブルク家出身のデンマーク国王(在位1448年―1481年)。当時北欧3国は同君連合カルマル同盟)の関係にあり,ノルウェー国王(在位1450年―1481年),スウェーデン国王(在位1457年―1464年)にもなったが,スウェーデンの宰相ストゥーレに敗れスウェーデン王位を失った。しかし一方ではドイツのシュレスウィヒ・ホルシュタイン併合

クリスティアン[4世]【クリスティアン】

デンマーク・ノルウェー国王(在位1588年―1648年)。ドイツ新教徒援助を名目三十年戦争に介入して敗北。バルト海権益をめぐりスウェーデンと争い(1643年―1645年),敗れてゴトランド島エーゼル島を割譲。しかし,内政改革と王権確立には成功し,海外進出を援助して国民的英雄となった。

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世界大百科事典(旧版)内のクリスティアンの言及

【デンマーク】より

…カルマル同盟はデンマークの優位を前提としており,以後スウェーデンは1448年から幾度かの分離を繰り返して最終的には1523年のグスタブ1世の即位まで,ノルウェーは1814年まで,いずれもデンマークの支配下におかれることになる。 1448年,オルデンブルクのクリスティアン1世Christian I(在位1448‐81)が国務院から王に推戴され,彼はオレンボー朝の開祖となる。次王ハンスHans(在位1481‐1513)は,79年にコペンハーゲン大学を設立した。…

【オレンボー朝】より

…1448‐1863年(ノルウェーでは1814年まで)。ドイツのオルデンブルクOldenburgに発する伯爵家のクリスティアンChristian(のち1世)が,1448年にデンマーク王に推戴され,開祖となり(在位1448‐81),2人の息子ハンス(在位1481‐1513),フレゼリク1世(在位1523‐33)から2系統のオレンボー家が発する。前者はクリスティアン2世(在位1513‐23)の死によって断絶し,後者はフレゼリク6世(在位1808‐39)まで続く。…

【グスタブ[1世]】より

…名門バーサ家に生まれる。クリスティアン2世(デンマーク王。カルマル同盟により形式上スウェーデン王位請求者)のため,人質の一人としてコペンハーゲンに送られる(1518)。…

【ストックホルムの血浴】より

…デンマーク王クリスティアン2世のスウェーデン王即位直後の1520年11月8日と9日の両日,カルマル同盟反対派がストックホルム城前の大広場で大量処刑された事件。同盟の実権はデンマークが掌握し,その支配下のスウェーデンではデンマークが支援する同盟派と反対派の紛争は絶えなかったが,デンマーク王は反対派を武力制圧してスウェーデン王に即位した。…

【スカンジナビア】より

…国民国家の創設にむけてルター派改革を利用した両国は,隣人に対しては強圧的であった。デンマーク王クリスティアン3世(在位1535‐59)はノルウェーとアイスランドに,スウェーデン王グスタブ1世はフィンランドにルター派を軍事力をもって押しつけた。本国を含むすべての国でカトリック派司教たちの指導下に農民たちの抵抗と反乱があったがすべて鎮圧された。…

【デンマーク】より

…カルマル同盟はデンマークの優位を前提としており,以後スウェーデンは1448年から幾度かの分離を繰り返して最終的には1523年のグスタブ1世の即位まで,ノルウェーは1814年まで,いずれもデンマークの支配下におかれることになる。 1448年,オルデンブルクのクリスティアン1世Christian I(在位1448‐81)が国務院から王に推戴され,彼はオレンボー朝の開祖となる。次王ハンスHans(在位1481‐1513)は,79年にコペンハーゲン大学を設立した。…

【オレンボー朝】より

…1448‐1863年(ノルウェーでは1814年まで)。ドイツのオルデンブルクOldenburgに発する伯爵家のクリスティアンChristian(のち1世)が,1448年にデンマーク王に推戴され,開祖となり(在位1448‐81),2人の息子ハンス(在位1481‐1513),フレゼリク1世(在位1523‐33)から2系統のオレンボー家が発する。前者はクリスティアン2世(在位1513‐23)の死によって断絶し,後者はフレゼリク6世(在位1808‐39)まで続く。…

【デンマーク】より

…カルマル同盟はデンマークの優位を前提としており,以後スウェーデンは1448年から幾度かの分離を繰り返して最終的には1523年のグスタブ1世の即位まで,ノルウェーは1814年まで,いずれもデンマークの支配下におかれることになる。 1448年,オルデンブルクのクリスティアン1世Christian I(在位1448‐81)が国務院から王に推戴され,彼はオレンボー朝の開祖となる。次王ハンスHans(在位1481‐1513)は,79年にコペンハーゲン大学を設立した。…

※「クリスティアン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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