日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
エストゥールネル・ド・コンスタン
えすとぅーるねるどこんすたん
Paul Henri Benjamin Balluet,Baron d'Estournelles de Constant de Rebecque
(1852―1924)
フランスの外交官、政治家。サルト県の貴族の家に生まれる。パリのリセ(国立中等学校)に学ぶ。1876年に外務省に入り、外交官としてトルコ、オランダ、イギリスなどに派遣された。1890年事務監督官としてロンドンに赴き、英仏間で問題となっていたシャム(現タイ王国)封鎖問題の解決にあたった。1895年国民議会(下院)に当選、1904年に元老院(上院)に転じ、亡くなるまで議員を務めた。
1899年第1回ハーグ平和会議のフランス代表団に加わり、平和のために国際紛争の調停に専心した。1905年パリで国際調停協会を設立し、1907年の第2回ハーグ平和会議ではフランス代表、および常設国際仲裁裁判所の判事として出席した。長年にわたって多くの国際調停を手がけ、国際平和へ貢献したことが認められ、ベルギーのベールナルトとともに1909年のノーベル平和賞を受賞した。
[編集部]