エレーナイシンバエワ(その他表記)Yelena Isinbayeva

現代外国人名録2016 「エレーナイシンバエワ」の解説

エレーナ イシンバエワ
Yelena Isinbayeva

職業・肩書
棒高跳び選手 アテネ五輪・北京五輪陸上女子棒高跳び金メダリスト

国籍
ロシア

生年月日
1982年6月3日

出生地
ソ連ロシア共和国ボルゴグラード(ロシア)

受賞
IAAF世界最優秀選手賞〔2004年・2005年・2008年〕

経歴
5歳で体操を始めるが、身長が伸び過ぎて体操選手に不向きな体つきとなったため、エフゲニー・トロフィモフ・コーチに勧められ15歳で棒高跳びに転向。体操で磨いた空中で体をコントロールする技術を生かし、1999年世界ユース選手権、2000年世界ジュニア選手権優勝。同年シドニー五輪は予選落ち。2003年世界選手権パリ大会で銅メダル。同年初めて世界記録マークすると、その後も次々と記録を更新。2004年ロシアのフェオファノワと競って次々と記録を塗り替える。同年アテネ五輪は4メートル91の世界記録で金メダルを獲得。2005年スーパーグランプリで女子としては史上初となる5メートル00を、世界選手権ヘルシンキ大会では5メートル01の世界記録をマークして優勝。その後、かつてブブカを教えたビタリー・ペトロフ・コーチへと指導者を代え、モナコ移住。2007年大阪大会を制し世界選手権連覇。2008年7月ゴールデンガラ(ローマ)で5メートル03、モナコ国際で5メートル04の世界記録をマーク。8月の北京五輪でも5メートル05の世界記録をマークし、五輪連覇を達成。2009年の世界選手権ベルリン大会は記録なしで3連覇を逃したが、直後のチューリヒ国際で5メートル06を跳び世界記録を更新。屋外での世界記録更新は通算15度目、屋内を合わせると通算27度目の記録更新となった。1年間の休養を経て、トロフィモフ・コーチの元へ戻る。2011年世界選手権大邱大会は6位に終わり、2大会ぶり3度目の優勝はならなかった。2012年ロンドン五輪は銅メダル。地元で開催された2013年世界選手権モスクワ大会は4メートル89を跳んで3大会ぶり3度目の優勝を果たした。174センチ、66キロ。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「エレーナイシンバエワ」の解説

エレーナ イシンバエワ
Yelena Isinbayeva
陸上

棒高跳び選手 北京五輪金メダリスト
生年月日:1982年6月3日
国籍:ロシア
出生地:ボルゴグラード
受賞歴:IAAF世界最優秀選手賞〔2004年・2005年・2008年〕
経歴:5歳で体操を始めるが、身長が伸び過ぎて体操選手に不向きな体つきとなったため、エフゲニー・トロフィモフ・コーチに勧められ15歳で棒高跳びに転向。体操で磨いた空中で体をコントロールする技術を生かし、1999年世界ユース選手権、2000年世界ジュニア選手権優勝。同年シドニー五輪は予選落ち。2003年世界選手権パリ大会で銅メダル。同年初めて世界記録をマークすると、その後も次々と記録を更新。2004年ロシアのフェオファノワと競って次々と記録を塗り替える。同年アテネ五輪は4メートル91の世界記録で金メダルを獲得。2005年スーパーグランプリで女子としては史上初となる5メートル00を、世界選手権ヘルシンキ大会では5メートル01の世界記録をマークして優勝。その後、かつてブブカを教えたビタリー・ペトロフ・コーチへと指導者を代え、モナコに移住。2007年大阪大会を制し世界選手権連覇。2008年7月ゴールデンガラ(ローマ)で5メートル03、モナコ国際で5メートル04の世界記録をマーク。8月の北京五輪でも5メートル05の世界記録をマークし、五輪連覇を達成。2009年の世界選手権ベルリン大会は記録なしで3連覇を逃したが、直後のチューリヒ国際で5メートル06を跳び世界記録を更新。屋外での世界記録更新は通算15度目、屋内を合わせると通算27度目の記録更新となった。1年間の休養を経て、トロフィモフ・コーチの元へ戻る。2011年世界選手権大邱大会は6位に終わり、2大会ぶり3度目の優勝はならなかった。2012年ロンドン五輪は銅メダル。地元で開催された2013年世界選手権モスクワ大会は4メートル89を跳んで3大会ぶり3度目の優勝を果たした。174センチ、66キロ。

出典 日外アソシエーツ「最新 世界スポーツ人名事典」最新 世界スポーツ人名事典について 情報

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