日本大百科全書(ニッポニカ) 「オリーブの木」の意味・わかりやすい解説
オリーブの木
おりーぶのき
L'Ulivo イタリア語
イタリア第二共和制の中道左派連合、とくに1996年の総選挙に向けてロマーノ・プロディを首相候補に結集した旧キリスト教民主主義系や旧イタリア共産党系穏健派などの連合。イタリア語読みで「ルリーボ」とよぶ。1995年から2007年まで存在した。シンボルとして平和の象徴かつイタリア国旗の一要素であるオリーブの木を採用。
1994年の総選挙において、旧共産党穏健派主導で結成された左翼民主党を中心とする左翼連合は、当初政権獲得が有望視されたものの、ベルルスコーニ率いる右派連合に敗北する。他方で中道勢力は、小選挙区比例代表並立制のもとで左右二大勢力化の潮流のなかで埋没・分裂に追い込まれていた。政治的正統性の獲得を目ざした左翼民主党系、選挙を勝ち抜くための同盟相手を探していた旧キリスト教民主主義系左派の利害は一致し、カトリック左派出身のプロディを首相候補に、選挙連合として「オリーブの木」を結成した。同連合は、「一つのプログラム、一つの連合、1人のリーダー」というスローガンを掲げ、政党主導ではなく市民の自発的参加を重視した選挙運動を展開した。その結果、1996年の総選挙で勝利を収め、政権を握る。
しかし、イデオロギー的多様性、大政党の左翼民主主義者(左翼民主党から党名変更)と中小政党のキリスト教民主主義系など、10以上の雑多な政党からなる同連合は、つねに分裂の危機にさいなまれた。1998年には左翼民主主義者のダレーマMassimo D'Alema(1949― )がプロディを退陣に追い込み後継首相に座ったことから亀裂は決定的なものとなった。同連合は単なる中道左派連合となり、事実上消滅状態に陥る。その後、2001年の総選挙の中道左派連合や、2004年のヨーロッパ議会(欧州議会)選挙の連合などでたびたび「オリーブの木」の名を冠した連合が組まれたものの、もはやかつてのような訴求力を失っていた。主要勢力は、2006年の総選挙で中道左派連合「同盟L'Unione(ルニオーネ)」として選挙に臨んだ後、やがて民主党に統合された。
[伊藤 武 2018年6月19日]
『後房雄著『「オリーブの木」政権戦略――イタリア中道左派連合から日本政治へのメッセージ』(1998・大村書店)』