改訂新版 世界大百科事典 「カルマト派」の意味・わかりやすい解説
カルマト派 (カルマトは)
Qarmaṭ
イスラムのイスマーイール派の一分派。899年ごろ,同派の主流は,後のファーティマ朝カリフの家系をイマームと認めたが,サワードの同派の責任者ハムダーン・カルマトはそれを認めず反抗した。この時の彼の行動を支持した人々がカルマト派と呼ばれる。またバフライン,イエメン,レイなどの同派の組織もファーティマ朝カリフの家系をイマームとは認めず,同様にカルマト派と呼ばれた。イラク南部,サワードの教団はシリアに進出して10世紀の初めに大いに活躍したが,アッバース朝軍隊の討伐を受け,907年にはサワード,次いでシリアのカルマト派の勢力も衰えた。政治的に最も活発であったのはバフラインの教団で,ムーミニーヤMu'minīyaという首都を築いて独立勢力となり,サワードにもしばしば武力侵攻し,また930年にはメッカを襲撃してカーバの黒石をバフラインに持ち帰った。バフラインの教団は,11世紀の終りごろまで独立を保っていたが,イスラム世界の他の地域に影響を及ぼすことなく,やがて消滅した。
執筆者:後藤 晃
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報