フリーメーソン(英語表記)Freemason

翻訳|Freemason

デジタル大辞泉 「フリーメーソン」の意味・読み・例文・類語

フリーメーソン(Freemason)

18世紀初頭、ロンドンで組織された国際的友愛団体。中世の石工組合を起源にするといわれ、超人種的、超階級的、超国家的、相愛的な平和人道主義を奉じる、一種のコスモポリタニズム運動。

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精選版 日本国語大辞典 「フリーメーソン」の意味・読み・例文・類語

フリーメーソン

  1. ( [英語] Freemason ) 国際的な友愛団体。起源は中世の石工組合。一七一七年ロンドンに成立。全ヨーロッパからアジア、アメリカまで広まる。超人種的、超階級的、超国家的、相愛的、平和的人道主義を奉じる。儀典の一部と会員相互のサインが秘密とされ、秘密結社の印象を与えている。

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改訂新版 世界大百科事典 「フリーメーソン」の意味・わかりやすい解説

フリーメーソン
Freemason

18世紀初頭イギリスに創設され,以来世界中にひろがった博愛主義団体。単にメーソンMasonともいう。現有勢力は,ロッジ(支部)数3万2370,会員数615万5000人(《ブロックハウス百科事典》1966年度の調査による)。秘密結社ではないが,入社式が非公開なので,部外者には全貌がつかみがたい。世界市民的博愛,自由,平等の実現をめざし,政治的全体主義,排他主義,狂信をしりぞける。会員はお互いに〈兄弟〉と呼び合い,入社式にも聖書に誓約するように,基本的にはキリスト教と対立しないが,神を〈全世界の至高の建築師〉と称するような理神論的傾向を有する。

フリーメーソンの起源については諸説まちまちで,ソロモンの神殿建設時代の建築師集団にまでさかのぼるとするものもある。これはおそらく,入社式に際して新加入者が体験する〈ヒラム伝説〉という通過儀礼と関係がある。フリーメーソンの伝説によれば,ソロモンの神殿建立の棟梁ヒラムは,その名望をねたんだ3人の職人に襲撃され,最後の一人に殺された。3人の暗殺者たちはヒラムの死体を土に埋め,その上にアカシアの小枝を植える。ヒラムの職人たちが親方を探しに出たとき,このアカシアが目印となって死骸が発見されるのである。入社式時の新加入者は,つぎつぎに定規,直角定規ハンマーに打たれてヒラム自身の〈三重の死〉を追体験し,それから〈腐敗〉を経てアカシアの木として再生するという象徴劇を演じる。この錬金術的変容の秘儀を通じて〈ヒラム伝説〉と一体化するのである。ちなみにヒラムの〈三重の死〉は,暗殺者たる3人の職人がそれぞれ象徴する,物的世界,心的世界,霊的世界からなる世俗的世界から彼が死を通じて解放され,闇(埋葬)をくぐり神的世界に復活するための死であり,したがってオシリスやイエスの死と同様,〈存在の全面的破滅を物語るものではなく,存在の再生・変容を告知する〉(J. ブーシェ)。

 そのほか中世の十字軍騎士団,とりわけテンプル騎士団を起源とする説や,ドルイド教の巨石崇拝にさかのぼるとする説,16~17世紀のヘルメス主義結社に前身をみる見解などがあるが,いずれもあとから持ち込まれたものであろう。ただ,フリーメーソンの名そのものが〈自由な石工〉の意であることからして,中世以来の石工ギルドより派生したことはほぼ確実であり,イギリスで1360年のウィンザー宮殿建造に際して,王命により諸侯から徴用された568人の石工集団を起源とする説が有力である。そもそもイギリスにおける石工は古くから教会や国王の特権的庇護の下にあり,さまざまの世俗的義務を免除されていた。この有力なギルドも中世の崩壊とともに大教会建築の機会が激減したため本来の職業的石工ギルドが解体に瀕しているところへ,大陸渡来の薔薇(ばら)十字団のような秘密結社が再生の理念を接木したのが,18世紀初頭におけるフリーメーソン成立の主たる契機であったと考えられる。いずれにせよ“地上に神の家を造る”教会建築家の同職組合は,このころようやく,〈見えざる天上の家〉としての精神の建築物,すなわちフリーメーソンの構築へと脱皮を迫られていた。

ロンドンとウェストミンスターにあった四つのロッジ(本来は大建築現場の職人たちの〈普請小屋〉の意)が,セーヤーAnthony Sayerの音頭で〈団結と調和の中心〉たる一つの大ロッジに大同団結したのは,1717年洗礼者ヨハネの祝日(6月24日)であった。6年後の23年,プロテスタント牧師アンダーソンJames Andersonによって〈憲章〉が編纂され,フリーメーソン会員が遵守すべき道徳律たる〈古き諸義務〉が制定された。ちなみに基本単位のロッジを上位の大ロッジに統合していく組織形態は以後も変わらず,いまでも世界各国に一つずつの大ロッジが置かれて,下部の地方的ロッジを統括している。ロッジの内部構成は,当初は徒弟,職人,親方の3段階からなり,それぞれがメンバーのたどる認識の階梯をあらわしている。のちに〈秘密の親方〉〈スコッチ〉〈薔薇十字騎士〉などさまざまの位階が導入されて位階制度が建築学的に複雑化されていくが,これは発展過程の上でそのつど,外部からさまざまの古代密儀や秘教思想が導入されたことを物語っている。

 フリーメーソンが歴史の上で果たした役割はそれほど明らかではない。イギリスで発生すると,それはたちまち大陸に波及して,30年代にはとりわけフランスで勢力を拡張したが,その理神論的傾向はただちにカトリック教会の反発を買った。38年教皇クレメンス12世は,フリーメーソンに加入することを〈教会と正当なる国家権力に反する活動〉とみなして破門宣告の教書を発した。一方,プロテスタント牧師の入会者が少なくないところからして,プロテスタント側の評価はそれほど否定的ではない。カトリックの反発も,フリーメーソンの信条それ自体というよりも政治的波及効果をおそれたものであった。事実その自由,平等,博愛という信条はフランス大革命のスローガンに援用されるほど進歩的であったために,18世紀の啓蒙主義思潮と結びつきやすかった。たとえばフランスのアンシクロペディスト百科全書派)たちをはじめ,ドイツではレッシング,ゲーテ,フィヒテのような知識人,ハイドンや《魔笛》《フリーメーソンのための葬送曲》を作曲したモーツァルトのような芸術家の支持を得たほか,啓蒙君主(フリードリヒ2世,フリードリヒ・ウィルヘルム1世)や大貴族(フィリップ・エガリテ公,G.J.D.vonシャルンホルスト)の間にも支持層をひろげた。とはいえその政治的イデオロギーは明確ではなく,のちにイタリア統一やフランス第三共和政下の反カトリック運動に一定の役割を果たし,フランス革命前夜にも穏健な共和主義を鼓吹した一方,革命末期にはかえってジャコバン党に迫害されてギロチン台に送られた会員も少なくない。だが巷説のレベルでは,フリーメーソンの仮面をかぶったユダヤ人の世界革命=世界共和国建設という陰謀説がささやかれ,そのための恐怖がしばしばフリーメーソン迫害をもたらした。20世紀に入ってからも,ナチス・ドイツ政権下で民族共同体に対する異分子として,1933年以後全ロッジが解体され,ナチス支配下に入った東欧諸国も同様であった。戦後,東欧では活動が復活するが,共産党の一党体制の下で解散に追い込まれた。18世紀半ば以来の伝統を持つロシアでは1822年にロッジが禁止され,1905年革命後に復活するが,十月革命後は抑圧された。

 結局,ナショナリズムや排他主義に敵視されやすいフリーメーソンが根づく最良の土壌を提供したのはアメリカ合衆国だった。合衆国歴代の大統領中,G.ワシントンをはじめ,J.モンロー,T.ローズベルト,F.D.ローズベルト,W.H.タフト,H.S.トルーマンらはフリーメーソン会員であったという。また,1ドル紙幣ピラミッドやその上に浮かぶ目の図柄は,フリーメーソンの教義を反映しているともいわれている。
執筆者:

フリーメーソンの性格が変化したのは,フランスにグラントリアンGrand Orient(大東社)が1773年に成立し,フランス革命に参画して以降といわれる。イギリス本国のフリーメーソンが一般に政治問題を会合で話題にすることがなかったのに対し,グラントリアンの傘下に入った大陸系フリーメーソンはむしろ積極的に社会改革を推進した。事実,フランス革命の宣言はフリーメーソンのロッジ内で起草され,既存の権力を暴力的に覆すことをめざした啓明結社もドイツのロッジ内で結成されている。さらに女性の入会を認めるなど民主的な結社運営をも進めた。

 このため18世紀末にはロビソンJohn RobisonやバリュエルAbbé Barruelらがフリーメーソンを陰謀集団とする論述を行い,やがて1840年代には世界征服をめざすユダヤ人の秘密結社であるとする〈フリーメーソンユダヤ人陰謀説〉を生みださせた。その最大の事例は1905年に世に出た《シオンの議定書》で,これはユダヤ人フリーメーソンによる世界征服の草案が示された偽書である。初期のナチスはこの文書を利用して反ユダヤ意識をあおりたてた。しかし最も政治的であったグラントリアンでさえ19世紀にはいると会員が穏健派へと移行しており,S.ボリーバルらと結んだラテン・アメリカのフリーメーソンなどを除けば,その政治性格はむしろ保守的方向に転じたとみるのが実情にかなっているだろう。

 しかしフリーメーソンの活動はアメリカにおいて目ざましかった。アメリカ合衆国では前述のように独立のために闘ったワシントンやB.フランクリン,またT.ジェファソンなど多くの指導者がフリーメーソンであった。フランスの共和思想を受け継ぐ合衆国では,各州が独自のグランド・ロッジを作り,それらの上位に立つ連合グランド・ロッジは所有していない。またイギリス式の閉鎖的な枠を取り払い,公開の結社としている点や,新たな儀式の設定を認めている点にも特徴があり,会員数400万人を超すアメリカ系メーソンを形成している。また黒人を構成員とするニグロ・フリーメーソンNegro Freemasonも結成されている。他方,ラテン・アメリカに流入したグランドリアン系のフリーメーソンは同地の民族独立運動に荷担し,今日なお政治的影響力をもつほとんど唯一の組織とされる。

 アジアへの進出はヨーロッパ列強の植民地経営とともに行われ,インド,中国へはイギリス系,インドネシア,ジャワにはオランダ系,フィリピンにはアメリカ系のロッジが作られた。しかし初期の会員はいずれも在住欧米人で占められ,多くの原地人が加入するようになったのは近年のできごとである。

 日本では幕末にイギリス人会員が渡来,1866年(慶応2)には横浜にロッジを設立している。そして78年8月15日には日本グランド・ロッジが横浜に開設されており,その会員は20名前後であったらしい。明治から大正にかけては日本各地にアメリカ系,イギリス系のロッジが開かれ,1936年の統計では〈オテントサマ・ロッジ〉〈ライジング・サン・ロッジ〉など約10ロッジを数え,会員数は300余人に達した。しかしこれらは明治政府の意向もあって欧米人だけが加入したもので,日本人によるロッジは第2次大戦後の49年に設立された〈東京ロッジ〉が嚆矢という。またアメリカの軍関係者の協力で50年には新しい日本グランド・ロッジが東京に開かれた。この日本グランド・ロッジは会員数4000,うち日本人は250名ほどだったという。
薔薇十字団
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フリーメーソン」の意味・わかりやすい解説

フリーメーソン
ふりーめーそん
Freemason

18世紀初頭のイギリスから始まった世界主義的、人道主義的友愛団体。起源は中世のメーソン(石工)のギルドにあり、彼らは町から町にフリー(自由)に移動して働いたが、その際、独特のしるしや合いことばによって行く先々のロッジ(小屋)に宿泊を許された。こうして、ロッジはしだいに彼らの地方支部組織あるいは地方集会場になっていったが、それらは現在の社会保障団体のような機能を備えていたため、17世紀に石工以外の一般人も名誉会員として加入を認められると、知識人を中心に急速に数が増えた。そして、1717年ロンドンにあった四つのロッジが大ロッジ(本部)を形成し、25年にはさらに全イングランド的組織に発展して、そこから18世紀中にヨーロッパ各地やアメリカに広まった。それはもはや石工だけの組織ではなく、知識人や中産層を主体とする思想団体で、世界市民的な意識をもとに自由主義、個人主義、合理主義の立場にたち、宗教的には寛容を重んじて、啓蒙(けいもう)思想の一翼を担った。そのため、啓蒙専制君主の統治したドイツではかなり広く受け入れられた(プロイセンのフリードリヒ2世やオーストリアのヨーゼフ2世も会員であったといわれる)が、カトリック教会の強力なフランスなどでは危険思想として迫害され、秘密結社的にならざるをえなかった。また、秘密結社としてフランス革命や19世紀ヨーロッパ各地の革命や政治運動を画策したとされるが、フランス革命当時の多くのジャコバン党員やイタリア統一運動時のマッツィーニ、ガリバルディらが会員であったことは確かであるにせよ、フリーメーソンが彼らに政治理論や行動原則を提供したとはいえず、危険な陰謀団体というイメージは虚構である。

 現在では国ないし地域ごとにいくつかのロッジ(支部)があり、それが大ロッジ(本部)にまとめられ、大ロッジどうしはそれぞれ独立を保ちつつ連合するという組織によって、会員相互の友愛と向上、社会的慈善と博愛、それらを通じての国際親善と世界平和を目的としている。

[松村 赳]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フリーメーソン」の意味・わかりやすい解説

フリーメーソン
Freemasonry

自由な友愛を求め,18世紀初頭より結成された国際的な親善団体。中世の石工 (メーソン) ギルドの流れをくみ,1717年ロンドンに結成されたのが始りで,全ヨーロッパからアメリカに急速に広がった。ロッジと呼ぶ集会を基礎的組織単位とし,一地域ないし一国内の数ロッジが集って上級の大ロッジを形成する。ヒューマニズムとコスモポリタニズムを信条とする会の原理に忠実であるかぎり,原則的には民族,階級,社会的地位,宗教によって会員の資格は制限されない。入会の際,象徴的,神秘主義的な儀式が行われ,会員は定められた合図,合言葉,符丁によって認知し合う。ロッジ内部には,ギルドの徒弟,職人,親方の3身分が投影された3つの基本的位階があり,大ロッジは独立性を保ちつつ大連合を形成する。フリーメーソンは 18世紀の合理と進歩を重んじる啓蒙主義的な時代思潮のにない手でもあり,個人主義的な倫理を信条とする中産階級,特に知識人が構成メンバーの中心となった。したがって宗教に関しては寛容,反動的な政治に対しては自由を主張したため,本来は秘密結社ではなかったにもかかわらず,教会や政府の弾圧を受けて陰謀団体,革命結社のように危険視された。アメリカ独立革命,フランス革命や 19世紀後半の自由,統一運動にはフリーメーソンの活躍は無視できないが,急進的共和主義や社会主義とは縁遠かった。現在ではその役割と意義は微弱になっている。

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百科事典マイペディア 「フリーメーソン」の意味・わかりやすい解説

フリーメーソン

単に〈メーソンMason,Masonry〉とも。英国起源の博愛主義団体。諸説あるが,発祥は中世の石工ギルドであろう。1717年,ロンドンで〈大ロッジ〉が創設され,1723年〈憲章〉が採択されて,いわゆる〈思弁的フリーメーソン〉が活動を開始,フランス革命,ドイツの啓蒙思想,米国独立などに影響を与えたといわれる。〈自由・平等・博愛〉のスローガン,コスモポリタニズムなど,その思想は理神論の色彩が濃厚で,非公開の入社式,合言葉,儀礼をもつ。日本には1860年代に入り,現在も活動している。
→関連項目カリオストロ薔薇十字団秘密結社モーツァルト

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「フリーメーソン」の解説

フリーメーソン
Freemason

国際的な友愛団体。18世紀初頭のロンドンで石工の組合を模してつくられ,全ヨーロッパに広がった。会則と運営は秘密結社の性格を持ったが,内部では会員の身分,国籍を超えた人間的交流があり,啓蒙思想の伝播にも貢献した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「フリーメーソン」の解説

フリーメーソン
Freemason

18世紀初頭イギリスで誕生した博愛主義団体
中世の石工(mason)のギルドを母体とする。神秘主義的入会儀礼や秘密の合図などをもち,秘密結社的であるが,実際には中産階層が参加する世界市民主義的団体である。

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デジタル大辞泉プラス 「フリーメーソン」の解説

フリーメーソン

18世紀のイギリスで組織された国際的な団体。人道主義・世界主義を信条とする友愛団体で、中世の石工のギルドが起源とされる。日本語表記は「フリーメイソン」「フリーメイスン」ともする。

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世界大百科事典(旧版)内のフリーメーソンの言及

【カリオストロ】より

…幼名ジュゼッペ・バルサモGiuseppe Balsamoとしてシチリア島パレルモのリボン商人の家に生まれ,数々の非行を重ねてから,東方生れの伝説的な王子アシャラという高貴な血筋を詐称する山師として世に登場した。やがてローマで生涯の伴侶となるロレンツァ・フェリチアーニと邂逅し,以来ヨーロッパ諸国を放浪,各地の宮廷にフリーメーソン大首長のふれ込みで登場しては,錬金術,予言の奇跡を演じて人々をたぶらかした。ミタウのクアラント公国,エカチェリナ2世のロシア宮廷,ポーランドのポニンスキ大公,シュトラスブルク(ストラスブール)のロアン枢機卿のサロンなどに出入りしては同じ手口の〈奇跡〉を演じ,1785年パリのベルサイユ宮ではマリー・アントアネット相手の〈王妃の首飾事件〉に巻き込まれてバスティーユに投獄される。…

【薔薇十字団】より

… 民衆レベルの巷説では,薔薇十字団員たちは三十年戦争によるヨーロッパの分裂と混乱を救済すべく東方からやってきた道士たちで,戦乱の収拾と同時にふたたび忽然と姿を消したのだとうわさされた。しかし三十年戦争以後も依然として隠された潮流は持続し,17世紀初頭の薔薇十字運動はしだいに〈極度に理想的に構想された本来の団の水増しと思える〉(H.ジルベラー)第2の局面に移り,次いで一部はフリーメーソンと合流するなど,18世紀に入るとふたたび新たな展開を迎えた。フランスではフリーメーソン・ロッジに〈薔薇十字の騎士〉の位階が導入され,ドイツでは1777年ベルリンにフリーメーソンから分離独立した〈黄金・薔薇十字団〉が結成され,フォルスターGeorg Forster(1754‐94)や解剖学者ゼンメリングSamuel Thomas Sömmering(1755‐1830)らが活動したといわれる。…

【ヒラム】より

…ツロ(テュロス)出身の有能な青銅細工師で,ソロモンがその神殿造営にあたって呼び寄せ,ヤキンとボアズの2柱の製作をはじめ多くのめざましい仕事をなしたという(《列王紀》上7:13以下ほか)。〈聖なる技術〉としての建築術の秘奥に通じた人として,後世ではフリーメーソンの伝説的な始祖とされた。なお,ダビデ・ソロモン時代のイスラエルに物資や技術者を供給したツロの王もヒラムと呼ばれる。…

【比例】より

…しかしこの間,16世紀のマニエリスムの到来とともに,こうした静的な比例観に対しては批判が加えられるようになり,ミケランジェロにあっては,比例はもはや不変の美の規範ではなく,作家個人の手法に属するものとみなされるようになっていた。バロック,ロココを通じてこの傾向はさらに強まり,18世紀の新古典主義においても,一部でフリーメーソンにより象徴的比例の復活がみられたものの,ロマンティックな超越的壮大さや不規則な美を求める傾向に押され,再び建築理論の中心的位置を占めるには至らず,近代の合理主義は,宇宙観とのアナロジーによる古典的な比例の伝統を完全に絶ち切ってしまう。 19世紀の建築理論家ビオレ・ル・デュクは,比例よりも尺度の重要性を説き,ある尺度に基づく基準格子(二等辺三角形)の使用を推奨している。…

【ブレー】より

…1780年ころまではパリの邸宅建築(オテル)を数多く手がけ,王室建築家,アカデミー会員として活躍したが,その後は教育と理論的著作(生前には刊行されず)や空想的計画案の制作に専念。それらの計画案に見る大胆な無装飾の幾何学的形態は,ディドロやルソーら啓蒙思想家たちの芸術理念やフリーメーソンの思想を具現化したものといえるが,一方その巨大さへの志向は,ナポレオン時代のアンピール様式や帝政ロシアあるいはナチスの建築(第三帝国)などにも大きな影響を及ぼした。【福田 晴虔】。…

【ヘルメス思想】より

… 17世紀に入るとデカルトとメルセンヌが機械論的自然観を主張してヘルメス思想を精力的に批判し,一部を除いてヘルメス主義的科学者は影をひそめた。ヘルメス思想家たちは薔薇十字団を結成して潜行し,ファルツ侯フリードリヒ5世の保護のもとに技術者を中心に活動したが,三十年戦争のため挫折し,17世紀中ごろ以後はフリーメーソンに依拠して活動した(そのシンボルであるペリカンはヘルメス思想における〈賢者の石〉を,ロッジは小宇宙を表すものとみなされている)。17世紀以後では,ベーメ,メーストルのほか,ゲーテ,シュレーゲル兄弟,ノバーリス,ティーク,シェリングらのロマン主義者たちが影響を受け,モーツァルトにもこの思想は反映しているといわれる。…

※「フリーメーソン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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